資料小展示2022
令和4年(2022年)度の展示
- 第1回:主(あるじ)の呼び方 ~殿様・若殿様・大殿様~(吉田)
- 第2回:幕末~明治期の稲作記録(河本)
- 第3回:「集まる・集める」をさがしてみた!(淺川)
- 第4回:お殿様の七夕(重田)
- 第5回:問田氏の発給文書(和田)
- 第6回:明治期のレトロ野球盤(山本)
- 第7回:萩藩一門、養子をむかえる(吉田)
- 第8回:毛利敬親の伝記・履歴書~明治前期の編さん~(山﨑)
- 第9回:当家の苗字 間違いです ―萩藩士の事例から―(河本)
- 第10回:明治がみえた!(淺川)
- 第11回:近代山口のひな祭り(重田)
令和4年(2022年)度 第11回資料小展示
近代山口のひな祭り
ひな祭りは、3月3日、自分の罪やけがれを人形に託し、流すことで祓おうとする「上巳の祓」と、人形を使ってあそぶ「ひひ(い)な遊び」が結びついて現在のかたちになったものです。 |
「雛節句絵図」 |
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令和4年(2022年)度 第10回資料小展示
明治がみえた!
今月の資料小展示では、山口県の近代を知る手がかりとなる写真資料を紹介します。「写真帖」「名所案内」「記念誌」に収められた風景写真や商工案内に収められた広告写真などをじっくり眺めて、「いつ」「誰が」「何を」「なぜ」など、撮影された写真の背後に潜むさまざまな情報を探ってみることにします。写真帖の刊行年や絵葉書に押された紀念スタンプなどをヒントに、複数の写真を比較検証することにより、今回は、とくに、明治期撮影と思われる写真を探りあてて、当時の様子を再生してみたいと思います。 |
「写真師山本忠橘の営業広告」 |
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令和4年(2022年)度 第9回資料小展示
当家の苗字 間違いです ―萩藩士の事例から―
江戸時代の文書や記録類を見ていると、当て字が多いことに気付きます。萩藩の家臣のなかには、苗字に使われている漢字が資料によって異なっていることがあります。 |
「分限帳 天保10~14年」 |
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令和4年(2022年)度 第8回資料小展示
毛利敬親の伝記・履歴書~明治前期の編さん~
13代長州藩主毛利敬親(忠正公)は、激動の幕末期を乗り越えたのち、明治4年(1871)3月28日、53才で亡くなりました。死の直前、「余命10年あれば朝廷に尽くすことができたのに残念だ」と語ったといいます。彼の死後、明治前期、毛利家編輯所員が中心となり伝記や履歴書が繰り返し編さんされました。 |
「毛利敬親事績」(明治7~8年) |
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令和4年(2022年)度 第7回資料小展示
萩藩一門、養子をむかえる
江戸時代の武士社会では、親から子へ、子から孫へ、家を守り伝えることはもっとも重要視されたことでした。 |
「千之助様御事、毛利六郎左衛門 |
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令和4年(2022年)度 第6回資料小展示
明治期のレトロ野球盤
今年は、日本に野球が伝えられてから150年の節目の年です。 今回の展示では、明治40年(1907年)に東京博報堂から発売された「卓上野球」という野球盤を紹介します。このレトロな野球盤から、明治時代後期における、野球人気の高まりの一端を垣間見てみます。 |
「卓上野球盤」 |
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令和4年(2022年)度 第5回資料小展示
問田氏の発給文書
問田氏は、周防国吉敷郡問田(現、山口市)を名字の地とする大内氏の分家です。13世紀後半に周防国衙の「検非違所」の長官を務めるなど、大内氏と同様に国衙を基盤に発展し、南北朝の内乱期には「守護方侍所」の長官としてその名が見えます。その後も、大内氏の氏寺である氷上山興隆寺の担当者を務めて大内氏の祭祀に関わる一方、石見国の邇摩(にま)郡代や守護代を世襲するなど、一貫して大内氏の権力中枢を担っていました。同族の陶氏と比べると知名度は低いですが、一門の重臣として主家を代々支えた一族でした。 本展示では、当館所蔵史料の中から、問田氏当主の名前で出された文書を紹介します。 |
「問田弘胤遵行状」 |
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令和4年(2022年)度 第4回資料小展示
お殿様の七夕
現在では竹や笹に願いごとを書いた短冊を下げ、星に祈る七夕ですが、貴族や武士たちの七夕は少々趣を異にしていました。 |
「御直書所年中行事」 |
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令和4年(2022年)度 第3回資料小展示
「集まる・集める」をさがしてみた!
今月の資料小展示では、第17回中国四国地区アーカイブズウィークの当館企画「集まる・集める ~人、モノ、記録・記憶と文書館資料~」に連動して、館蔵資料にひそむ「集まる」「集める」をさがしてみました。 |
「第二回内閣勧業博覧会会場図」 |
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令和4年(2022年)度 第2回資料小展示
幕末~明治期の稲作記録
江戸時代には山口古熊の畔頭、明治期には上宇野令村会議員を務めた河野(こうの)家の文書の中には、幕末~明治期の稲作に関する記録が伝来しています。 |
「種籾記(其外)」 |
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令和4年(2022年)度 第1回資料小展示
主(あるじ)の呼びかた ~殿様・若殿様・大殿様~
江戸時代の武士たちは、自分の主(あるじ、主君・藩主)をどのように呼んでいたのでしょうか?声に出された表現は記録に残りづらいですが、文字に書かれたものであれば多くの事例を目にすることができます。それは、将軍であれば上様・公方様、大名であれば御屋形様・殿様などがあるようです。 |
「用達所日記」 |
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過去の小展示