平成26年度資料小展示
平成26年度の資料小展示
- 第1回 : 近代貨幣の移り変わり ―新貨条例から終戦まで― (山本)
- 第2回 : 神代直人の捕縛 ―大村益次郎襲撃事件顛末― (伊藤)
- 第3回 : 「防長古器考」の図 (吉積)
- 第4回 : 田植え-防長風土注進案にみる村の一年(1) - (金谷)
- 第5回 : 館蔵資料にみる黒田官兵衛 (吉田)
- 第6回 : 新収・益田高友家文書の紹介 (和田)
- 第7回 : 明治時代の県庁書庫 (山﨑)
- 第8回 : 江戸時代の将棋 (山本)
- 第9回 : 貞享2年地震 ―古文書に見る防長両国の被害― (伊藤)
- 第10回 :万歳-正月のことほぎ- (金谷)
- 第11回 :吉田松陰自賛肖像 (吉田)
平成26年度第11回資料小展示
吉田松陰自賛肖像
紺色の着物を身に着け、胡座にて座る吉田松陰。その右手は書物の頁をめくり、刀は帯びずに左傍らに置いています。 |
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平成26年度第10回資料小展示
万歳 ―正月のことほぎ―
正月の行事や飾りには、その年の豊作や家々の安寧などを願う、さまざま祈りが凝縮されています。今回(1/7~2/15)は、正月に巡り来て家々を祝福する「万歳(まんざい)」という芸能、ないしそれをおこなった人々を紹介します。 |
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平成26年度第9回資料小展示
貞享二年地震 ―古文書に見る防長両国の被害―
山口県は地震が少ない県と言われていますが、古文書をみてみるといくつかの地震により被害を受けていることが分かります。 |
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平成26年度第8回資料小展示
江戸時代の将棋 ―萩藩の強豪”真甫”―
江戸時代の初め、萩藩に「真甫」という全国にその名を轟かせた将棋指しがいました。江戸時代、将棋の名人は、大橋家本家、大橋家分家、伊藤家の三家で世襲されていましたが、真甫は、在野の強豪として、初代伊藤宗看(後の三世名人)と対局したことで有名です。寛永18(1642)年から慶安2(1649)年にかけて香車落で70番を指し、勝敗は宗看の40勝30敗でした。その時の棋譜が今も多く残っており、その戦いぶりを知ることができます。 |
解説資料(PDF、515KB) |
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平成26年度第7回資料小展示
明治時代の県庁書庫
文書館が所蔵する明治時代の県庁文書(国重要文化財「山口県行政文書」)の中には、表紙下部分に色紙が貼られているものがあります。これは、県庁書庫で各課文書を管理する上で、配架位置を間違えないよう、目印として貼られていたものです。 |
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平成26年度第6回資料小展示
「益田高友家文書」-新収史料の紹介-
本年、山口市在住の御子孫より「益田高友家文書」が文書館に寄託されました。 |
解説資料(PDF、333KB) |
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平成26年度第5回資料小展示
館蔵資料にみる黒田官兵衛
戦国時代、大名は有能な人材を側近くに置き、彼らの献策を取り入れて、内政・外交など様々な政策を実行していきました。こうした人物の中で特に優れた者は「軍師」などと呼ばれ、今話題の黒田官兵衛もその一人に挙げられます。 |
解説資料(PDF、262KB) |
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平成26年度第4回資料小展示
田植え -『防長風土注進案』にみる村の一年(1)-
田植えも済み、方々の田んぼでは稲が青々と育っています。今回は、農村において、もっとも大切な行事の一つである「田植え」について、「防長風土注進案」(当館蔵)の記述や「四季耕作図」屏風(当館蔵安部家文書)に含まれる画像を手がかりに、当時の風景に迫ってみます。 |
解説資料(PDF、3.48MB) |
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平成26年度第3回資料小展示
防長古器考の図
安永3年(1774)に完成した「防長古器考」161冊は、萩藩が領内規模で行った美術工芸品調査の代表例です。調査対象は藩士・社寺を中心に210家に達します。多くは精密な図入りで大変美しく、一部は彩色も施されています。調査された美術工芸品の多くは現在では失われており、その意味で非常に意義深い美術工芸品調査報告書となっています。 |
解説資料(PDF、936KB) |
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平成26年度第2回資料小展示
神代直人の捕縛 -大村益次郎襲撃事件顛末―
皆さんは神代直人という人物を知っていますか?神代直人とは、大村益次郎を襲撃し、結果として死に追いやった犯人グループの首謀者とされる人物です。また、伊藤博文の回顧談には、英国船での和議交渉から帰還した高杉晋作と伊藤博文を襲撃しようとしたとも伝えられています。神代直人は、大村益次郎襲撃後、明治2年(1869)10月に豊後国姫島から山口に帰着した際、官吏に見つかり、自ら割腹したとされてきました。 |
解説資料(PDF、596KB) |
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平成26年度第1回資料小展示
近代貨幣の移り変わり -新貨条例から終戦まで―
明治政府は、1971(明治4)年、新貨条例を制定し、貨幣の単位を円・銭・厘に改め、純金二分(1.5グラム)を円の定量とし、円の100分の1を銭、銭の10分の1を厘としました。そして、本位貨幣として5種の金貨、補助貨幣として4種の銀貨と3種の銅貨を鋳造しました。現在、私たちが慣れ親しんでいる通貨制度は、この時に始まったものです。 |
解説資料(PDF、360KB) |
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