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文書群名

佐世家文書

分類

諸家文書  >  佐世家文書

点数

142

伝来地

目録内容

閲覧室目録

組織歴・履歴

本姓は源(宇多源氏)で、出雲国大原郡佐世郷(現島根県)を本貫とする。戦国期は尼子氏に従ったが、尼子氏滅亡後は毛利家に仕えた。特に、佐世元嘉は毛利輝元に見出され織豊期〜藩政期初期に側近として活躍したことで知られる。/萩藩士の佐世家には三家あるが、この佐世家は、元嘉の姪於徳(徳子・元嘉姉の娘)の流れを汲む家。「明和譜録」の大組士佐世新次郎如啄家に当たり、「小佐世」とも呼び習わしている。「萩の乱」で著名な前原一誠はこの家の出身。/元嘉姉は尼子家臣米原廣綱に嫁ぎ三女をなしたが、尼子氏滅亡後、毛利家に属していた夫綱廣が、尼子再興を目指し永禄12年(1569)に挙兵した尼子勝久に与したため(のち消息不明)、元嘉姉は娘らとともに実家佐世家に戻った。こののち娘のひとり於徳が田中与一兵衛に嫁ぎ子をなすが、於徳は同時期に生まれた毛利秀就の乳母を命じられ、田中と離縁させられた。秀就成長ののち、於徳は乳母の功により扶持を賜る(慶長18年〈1613〉死去)。/慶安4年(1651)、於徳に与えられた扶持をもとに、於徳の孫にあたる萩藩士赤川喜右衛門の娘と同林玄澄二男・正勝で一家をなし、萩藩士として米原家再興が許された。宝暦3〜4年(1753〜54)に山代代官役を勤めた3代政如は、宝暦9年12月、苗字を佐世に替えることを藩に願い出これを認められ、以後佐世を名乗る。5代如章(八十郎・新右衛門)は密用方として活動する。/前原一誠(1834〜76、八十郎)は、7代経一(少三郎・彦七)の長男として萩で誕生。松下村塾で学び、文久3年(1863)藩府に出仕。別家を立て、慶応元年(1865)苗字を前原に改め、慶応2年第二次幕長戦争に参謀として活躍した。明治維新後は政府の中枢に参画し、明治2年(1869)には参議から兵部大輔に栄進したが、明治3年辞職し帰萩した。明治9年(1876)奥平謙輔らと挙兵したが(萩の乱)、島根県宇龍浦で捕らえられ、萩で処刑された。

内容

当文書群は以下のように配列した。/1.中世〜近世初期文書  2.萩藩士(近世佐世家) (1)系譜・系図 (2)親類・他家 (3)名替 (4)養子 (5)書置 (6)仏事 (7)御意書 (8)開作地・知行地 (9)家計 (10)諸事  3.前原一誠  4.近代佐世家  5.書籍他/「1.中世〜近世初期文書」は2点。12月17日(元亀元年(1570)ヵ)小早川隆景書状(NO1)は米原綱寛に宛てられたもので、当時まだ毛利家側に属していた米原家の活動をうかがわせるもの。『閥閲録』巻115-3湯原文左衛門に収録されている。慶長5年12月6日毛利宗瑞黒印状(NO2)は、『閥閲録遺漏』巻5-2兼重新兵衛収録文書で、本来兼重家伝来のものだが、のち兼重家から佐世家に譲られた。/「2.萩藩士(近世佐世家)」には、佐世家が萩藩士として活動した藩政期に作成・授受された文書を配列した。(1)系譜・系図は繰り返し作成された佐世家(米原家)の系図・系譜に関するもの。(3)名替には米原新右衛門(政如)が「佐世」への苗字替えを願い出た文書の控を含む。(5)書置では、特に不動尊信仰の大切さを説く内容の文書などが注目される。(7)御意書には、佐世新右衛門が密用方を命じられた際の御意書(NO51)がある。当家は本家佐世家と強いつながりをもっており、享保期には本家佐世家が藩から与えられていた開作地の権利の一部を当家に分与することを約束した。(8) 開作地・知行地にはそれに関わる一連の文書のほか、開作地・知行地に関するものを収めている。/「3.前原一誠」は前原一誠の読んだ和歌を軸装したもの1点(NO113)。/「4・近代佐世家」には、兄前原一誠とともに「萩の乱」に加わり処刑された佐世一清の書状(NO114)、一清死後の墓所改装願(NO117)などを含む。

論文・翻刻

▽松陰神社編『前原家寄贈資料目録』(2018)/新井春杓『尼子・毛利の家臣 佐世一族の歴史』(2005、非売品)

関係地域

キーワード

尼子家家臣/萩藩士/前原一誠

文書の年代

元亀元年(1570)〜昭和58年(1983)

選択中文書群名

佐世家文書

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