山口県文書館

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文書群名

志道家文書

分類

諸家文書  >  志道家文書

点数

1849

伝来地

山陽町

目録内容

閲覧室目録

組織歴・履歴

志道家は大江姓で毛利親衡次男匡時を祖とし、安芸国高田郡志道村を本貫とする。当家は、志道広良の三男就良が毛利元就に仕えて一家を立てたことに始まる家。以後隆元・輝元に仕え、近世には萩藩大組士として活動し、給領地のある吉田宰判伊佐村に居を構えていた。「閥閲録」巻108・志道五左衛門、「譜録」し11・志道与七郎良次の家がこれにあたる。安政期の禄高は50石5升7合。幕末期には志道源三が吉田宰判砲隊掛などを務め、吉田・船木地方の農兵取立に関わる。/明治期には以下の公職を務めている。/〈志道源三〉厚狭郡第7区戸長(〜明治6年3月)、第13大区第1小区戸長(明治9年6月〜)、吉田部学区取締(明治5年11月〜)、第13大区学区取締(明治10年3月〜12年1月)、第13大区医務取締(明治11年2月〜12年1月)/〈志道辰熊〉厚狭郡厚西村村会議員(明治28年4月〜明治34年)、厚狭郡会議員(明治34年6月〜)/志道辰熊は、明治32〜37年頃に厚狭郵便局長を務めている。また辰熊は、明治19年11月から「協同会社厚狭郡出張所員不在中臨時雇入」として勤務したことがあり、加えて明治31年に県内に設立された「家禄処分錯誤訂正願協議会」の地方委員を務めていたと推測される。/なお、昭和戦前期に社河内信次が志道家を継ぐが、彼の父か祖父にあたる社河内淡三が明治37〜38年、第6師団輜重兵第6大隊第1中隊士官候補生として日露戦争に従軍しており、その際の記録が残る。社河内信次(志道信次)は昭和戦前期、名古屋や姫路に居住していたことがうかがわれる。

内容

文書群は、中世〜近世の判物類、幕末期の志道源三の日記・書状、吉田・船木地方の軍制関係の文書、明治期教育関係文書、家文書などからなる。/平成30年度1198点追加。追加分については、志道家の歴史をふまえ、1萩藩士、2戸長、3学区取締、4協同会社所員、5厚狭郵便局長、6家禄処分錯誤訂正願協議会委員、7日露戦争従軍記録、8志道家に分け配列した。

論文・翻刻

■山陽町立厚狭図書館編『山口県厚狭郡美祢郡教育史料 志道文書』1〜7(1973〜80)・同編図書館叢書『年中日記(志道文書)』(1995〜2000)■『山口県史』史料編近代1(2000)■『山口県史』史料編中世3(2004)

関係地域

山陽町

キーワード

毛利氏家臣/萩藩士(大組)/戸長/学区取締/村会議員(厚狭郡厚西村)/郡会議員(厚狭郡)/協同会社所員/郵便局長(厚狭)/家禄処分錯誤訂正願協議会委員/日露戦争

文書の年代

中世〜昭和20年代頃