当館蔵の指定文化財
Ⅰ 国指定重要文化財
1.重要文化財(古文書)「有光家文書」121通・「長門国正吉郷入江塩浜絵図」1通
長門国豊浦郡正吉郷の正吉八幡宮(現在の下関市永田神社)の大宮司であった有光(ありみつ)家に伝わった文書群です。建保3年(1215)から貞享5年(1688)までの文書を含みますが、大半は中世の文書です。特に中世前期の文書は、正吉郷とその周辺で生活していた人々がやりとりした文書であり、しかもそれらがうぶな状態でまとまって伝来した点で、全国的に見ても大変貴重です。また、「長門国正吉郷入江塩浜絵図」は、古式入浜式塩田を描いた絵図として最古のものとして有名です。
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2.重要文化財(歴史資料)「大内版法華経板木」59枚
大内氏の氏寺氷上山興隆寺で開板された、妙法蓮華経の板木です。全8巻・28品が完存しています。文明14年(1482)から興隆寺の宝浄坊宥淳を願主として開版され、のち元亀3年(1572)、天正5~6年(1577~78)に心蓮坊重映が願主となって補刻されています。本資料は、「大内版」と呼ばれる大内時代の印刷文化を示す貴重な事例です。板木が一括して現存している例はほかになく、大内氏領国の文化の水準を示すとともに、地方の出版状況を物語る全国的にも数少ない資料として重要です。
3.重要文化財(歴史資料)「山口県行政文書」13,549点
山口県が設置された明治4年(1871)から地方自治法が施行される以前の昭和22年(1947)3月までの間、山口県庁で作成・取得された県行政文書群です。県庁文書12,597点と郡役所文書952点で構成されています。一部に江戸時代の文書も含まれています。明治から現代にいたる山口県の政治・経済・文化を明らかにする上での基本資料となるものです。士族反乱として著名な「萩の乱」に関するもの、明治期における中央政府から県への通達類、県内の主要道路、鉄道、港湾、県立学校の建設工事に関するもの、ハワイ移民に関するものなど、内容は多岐にわたります。近代史研究、地方行政史研究を進める上で貴重な資料群です。
4.重要文化財(古文書)「熊谷家文書」255通
旧萩藩士熊谷家に伝来した文書です。武蔵国熊谷郷を発祥地とする熊谷氏は、地頭として安芸国三入荘へ移住し、のちには毛利氏に帰属して、江戸時代には萩藩士として活動しました。文書は、建久2年(1191)3月1日「熊谷蓮生房(直実)譲状案」を上限として、寛永11年(1634)5月19日「毛利秀就官途書出」に至る255通で構成されています。熊谷氏が地頭領主から戦国武将へと発展した過程を知ることができ、特に中世領主制研究史上貴重なものです。
5.重要文化財(歴史資料)「日明貿易船旗」1旒・「高洲家文書」117通
旧萩藩士高洲(たかす)家に伝来した資料群です。高洲家は、室町・戦国時代には山名氏や大内氏に従い、最終的には毛利氏に帰属して、江戸時代には萩藩士として活動した家です。資料群は南北朝~江戸時代初期の文書および日明貿易船旗で構成されています。毛利氏領国下の赤間関代官の都市・交通支配、貿易管理等のあり方を知るうえで重要な資料であり、特に旗は、日明両国の公的貿易(いわゆる勘合貿易)の途絶後の民間貿易の実態を示す好資料として、対外関係史研究等に重要なものです。
6.重要文化財(歴史資料)「過所船旗」1旒・「能島村上家文書」199通
中世後期に瀬戸内海の制海権を有した能島村上家に伝来した、過所船旗1旒と室町時代から安土桃山時代に至る文書です。過所船旗は、村上武吉(たけよし)が発給した海上通行証というべき、伝来の稀なものです。文書は、瀬戸内海で水軍を編成し、活動した戦国期武家の歴史を知るうえで、最もまとまった資料として歴史的価値が高いものです。
7.重要文化財(建造物)「山口県旧県庁舎及び県会議事堂」の附指定「工事関係記録6冊 設計図5枚」
大正5年(1916)完成の山口県旧県庁舎と県会議事堂は、大正初期の煉瓦造公共建築として数少ない遺構であり、重要文化財に指定されている建造物です。本資料は、重要文化財「山口県旧県庁舎及び県会議事堂」の附指定となっているもので、建物の建築工事に関する文書6冊(明治44~大正2年)および設計図5枚で構成されています。本来、重要文化財(歴史資料)「山口県行政文書」と一体のものです。
Ⅱ 山口県指定文化財
1.有形文化財(歴史資料)「吉田松陰関係資料」754点
幕末期の思想家であり、松下村塾を主宰して多くの人材を育てた教育者としても著名な吉田松陰に関する資料です。松陰が家督を継いだ吉田家に伝来したものです。家督相続から生涯を終えるまでの間の松陰に関する資料が、時期的に偏ることなく残されており、松陰の行動、思想を知る上で基本となる貴重資料です。文書741点、肖像画1点、所用品12点で構成されています。肖像画「絹本着色吉田松陰像(自賛)」は、安政6年(1859)5月、松陰が萩から江戸へ送られる直前、門弟の松浦松洞が描いた松陰の肖像に、松陰自身が賛を入れたものです。
2.有形民俗文化財「小田家の生活用具・商家資料・町屋」のうち文書1,011点
小田家住宅のある柳井市柳井津は、室町時代から瀬戸内海の港町・商業都市としてさかえました。小田家は、江戸時代、商家として活動し、絞油業、廻船、塩田経営、地主経営などで経営を発展させました。町年寄を務めたほか、のちには岩国藩への献金等の功により大組士にも取立られました。小田家住宅は白い漆喰壁の代表的な町屋の建物で、豪商のたたずまいを今に伝えています。本資料は、小田家住宅、生活・生産用具とともに、商家資料(商業活動関係資料)として一括して有形民俗文化財に指定されているものです。
Ⅲ 市町指定文化財
- 有形文化財(古文書)「享保十七年虫枯亡者過去帳」1冊/昭和51年(1976)3月24>日指定/養専寺文書
- 有形文化財(古文書)「生見邑中虫枯餓死過去帳」1冊/昭和51年(1976)3月15日指定/東大寺文書
- 有形文化財(古文書)「河田家文書」51通/昭和61年(1986)9月10日指定/河田家文書