Web古文書 - 令和2年(2020年)度
- 当館ウェブサイトで古文書学習用テキストの提供を始めます!
- テキストをアップし、1週間後をめどに解答編をアップします(8回予定)。
- ダウンロードしてご自宅での学習にご利用ください。
第8週 萩藩の武家文書 2 -加判衆連署奉書-
井原家(「閥閲録」巻30井原五郎左衛門家)に伝来した、加判衆連署奉書を取り上げました。第4週で紹介したように、初代藩主毛利秀就は家臣に対して自身の花押を据えた判物を発給していました。
ところが、2代藩主綱広の時代になると、判物にかわって、藩主の意向をうけて、加判衆(加判役・当役・当職)が連署する奉書が発給されるようになりました。
第7週 意見を聞かせて! -明治の町村合併と戸長の意見-
明治22年(1889)、国の主導のもと、全国的に市町村合併が推進されました。山口県も例外ではなく、それまであった1市79町619村が1市4町224村に編成されました。
この合併では、地域の代表である戸長らに対して、原案に対する意見を求めています。今回は吉敷郡の事例の中から、戸長の意見書4点を選びました。解答は次週アップします。
第6週 中世の古文書 2 -大内氏の古文書-
中世の山口を本拠とした西国の雄・大内氏歴代のなかから、政弘、義興、義隆が発給した文書を取り上げました。
政弘の文書は、応仁・文明の乱(1467~1478年)に参戦のため上洛した際のもの、義興の文書は、京都船岡山の合戦(1511年)に関するものです。
義隆の文書は、安芸国(現、広島県)内の土地を宍戸氏に預けた際のものです。
第5週 江戸時代の旅 2 -旅する「にせ徳川男」を追え!-
延享元年(1744)、「徳川」を名乗る30才ぐらいの男(にせ徳川男)が諸国を巡回し、幕府が諸大名等へ取締りを指示する出来事がありました。男は、五月に京都で捕えられています。この事件に関する記事が、萩藩の記録「公儀事控」に収録されています。今回はこれをテキストにしました。
第4週 萩藩の武家文書 1 -藩主発給文書-
井原家(「閥閲録」巻30 井原五郎左衛門家)に伝来した文書の中から、萩藩の初代藩主毛利秀就と、その父輝元(宗瑞)が発給した判物(はんもつ)を中心にアップしました。
判物とは、大名家の当主(藩主)が花押(サイン)を据えて発給した文書のうち、書状形式以外のものを指します。
第3週 国目付の記録を貸して! -近世大名家交流の一コマ-
江戸時代、藩の間で様々な交流がある中で、記録の貸借もありました。
同じ格式を持つ大名家は、自家が突出しないように、また対応に不備がないように、他家との調整や前例の調査を行っていました。記録の借用はその一環で行われました。
今回は萩藩が記録の借用を求められ、「写」を送った事例を挙げました。
第2週 中世の古文書 1 -信長・秀吉の文書-
古文書講座のテキストとしてはあまり取り扱われない中世の文書を解読してみましょう。まずは、誰もが知っている織田信長と豊臣秀吉の文書を2点選びました。
信長の文書は、ある動物を贈られたことに対する礼状です。戦国武将には人気の一品です。
秀吉の文書は、手紙と贈り物をもらったことに対する礼状です。平仮名で書いてあります。
第1週 江戸時代の旅 1 -旅に出る時のルール-
江戸時代には、ひとびとが商売、観光、寺社参詣、娯楽など、さまざまな目的で旅に出かけるようになりました。ただし現代とは異なり、だれもが、いつでも自由に旅に出ることができたわけではありません。しかるべき届け出と往来手形が必要でした。
萩藩領を事例として、「旅に出る時のルール」に関する文書4点を選びました。