- 文書群名
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内藤家文書(光市)
- 分類
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諸家文書 > 内藤家文書(光市)
- 点数
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1
- 伝来地
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- 目録内容
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閲覧室目録
- 組織歴・履歴
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内藤家に伝わる系図(NO1)によれば,この内藤家は大内義隆が陶氏ら有力家臣に叛かれて自害した際に,8歳になる義隆の嫡男「三位中将」が大内氏家臣である内藤隆世に伴われて,筑後国河原山(現,福岡県)へ逃れて隠れ住み,名字を大内から内藤に変えたという。三位中将の4代後の内藤師法輝明(もろのりてるあき)がこの系図の記主である。/同家はその後防長に戻って帰農したと考えられ,家伝によると江戸時代には村役人を務め,名字帯刀を許されたという。居住地の萩藩領都濃宰判三井村(現,光市)には,大内氏の流れを汲むと伝える内藤家が複数あるが,当家は「丘の本家」もしくは「上の本家」と呼ばれていた。
- 内容
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内藤家の由緒を伝える内藤家系図1点からなる。系図の頭書に「内藤家系図」と記されるが,大部分は正恒から義隆にいたる大内氏の由緒書で,巻末に近い部分に,上記2で略述したような当家に直接かかわる略系と由緒が記されている。この部分がいわゆる通説とは異なる記述で,本系図の特色といえる。
- 論文・翻刻
- 関係地域
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- キーワード
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大内氏
- 文書の年代
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慶長7年(1602)