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- 文書群名
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徳山毛利家文庫
- 分類
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藩政文書 > 徳山毛利家文庫
- 点数
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14393
- 伝来地
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- 目録内容
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▽『徳山毛利家文庫仮目録』1〜5(山口県文書館)
- 組織歴・履歴
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萩藩の支藩である徳山藩は、元和3年(1617)、毛利輝元が次男就隆に領地を分け与えたことに始まります。元和7年以降、都濃郡24ヶ村、熊毛郡1ヶ村、佐波郡富海村、阿武郡奈古村・大井村を領地としました。当初は下松に陣屋が置かれましたが、慶安元年(1648)以降、徳山に館邸・藩庁を置きました。寛永11年(1634)に幕府から公認され、表高は4万5000石でした。 徳山藩は、正徳5年(1715)の万役山事件を契機に萩本藩と対立を生じ、翌享保元年改易となりましたが、享保4年(1719)に再興されています。 明治4年(1871)6月、徳山藩は山口藩(萩藩)と合併し、翌7月、廃藩置県により山口県となりました。 徳山藩主家を「徳山毛利家」と通称しています。初代就隆以下、当主は以下の通りです(明治期まで)。 〈1〉就隆(1602〜79)〈2)元賢(1670〜90)〈3〉元次(1667〜1719)〈4〉元堯(1702〜21)〈5〉広豊(1709〜73)〈6〉広寛(1733〜64)〈7〉就訓(1750〜1828)〈8〉広鎮(1777〜1865)〈9〉元蕃(1816〜84)〈10〉元功(1851〜1900)
- 内容
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江戸時代、徳山藩の藩主であった徳山毛利家に伝来した文書・記録群です。昭和38年(1963)に文書館に寄託されました。文書総数は約4万点。徳山藩の藩政文書を中心としながら、徳山毛利家の家文書も含んでいます。年代範囲は江戸時代初頭の徳山藩創設期から、廃藩後の明治・大正期までと幅広いものですが、一時の断絶を経て藩が再興した享保4年(1719)以後の文書が中心を占めています。
- 論文・翻刻
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▽『徳山市史』(徳山市 1984) ▽『徳山市史年表』(徳山市 1969) □『徳山市史史料 上中下』(徳山市 1964〜68) ▽『下松市史』(下松市 1989) ▽周南市美術博物館開館15周年記念『凜−徳山毛利家』(周南市美術博物館 2010)
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