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文書群名

毛利家文庫

分類

藩政文書  >  毛利家文庫

点数

伝来地

目録内容

▽『毛利家文庫目録』 第1〜5分冊(山口県文書館)▽『毛利家文庫目録別冊1〜2』公儀事諸控総目次1〜2(同上)▽『毛利家文庫目録別冊3〜5』諸事小々控総目次1〜3(同上)▽閲覧室目録

組織歴・履歴

戦国時代、安芸国高田郡吉田を本拠とする国人領主であった毛利家は、元就の時代、戦国大名として急速に勢力を拡大しました。元就の孫である毛利輝元は、天正19年(1591)には中国地方8ヶ国112万石を領有し、豊臣政権下、5大老の一人として活躍しました。しかし、慶長5年(1600)9月の関ヶ原の戦いの結果、毛利家は徳川家康によりその領地を周防・長門2ヶ国に減封されました。 江戸時代の毛利家は、長門国阿武郡の萩に城を置く外様大名として活動しました。幕府に認められた萩藩の公称高は36万9千石余でした。幕末期、萩藩(長州藩)は、山口に藩府を移し、西南雄藩のひとつとして討幕の中心的役割を担いました。 近代の毛利家は、明治2(1869)年に山口県知藩事となり、廃藩置県後は当主が東京に移り住み、高輪に新邸を置きました。明治17年(1864)に公爵を授けられ、のちには貴族院議員にも就任しています。東京高輪邸では明治16年(1863)以降、昭和22年(1947)までの間、一貫して修史事業が継続されていました。

内容

毛利家文庫は、江戸時代に萩藩主であった毛利家に伝来した文書群です。昭和26年から27年(1951〜52)にかけて毛利家から山口県に寄託されました。文書数は約5万点に及びます。 毛利家文庫は、明治期から昭和22年まで毛利家で行われた修史事業に伴って形成された文書群です。量的には江戸時代の萩藩庁文書が多数を占めますが、そのほかに、修史事業に伴って作成・収集・筆写された文書、毛利家の家文書、明治前期の山口県庁文書、旧家臣から寄贈された諸家文書などを含んでいます。量的には近世文書が多数を占めていますが、中世文書や近代文書も少なくありません。

論文・翻刻

▽広田暢久「毛利氏編纂事業史」「長州藩編纂事業史」(『山口県文書館研究紀要』3、6〜14) ▽山崎一郎「明治〜昭和戦前期、山口県庁における旧藩記録の保存と利用ー毛利家文庫と県庁伝来旧藩記録ー」(『山口県史研究9』)、同「毛利家文庫の形成過程と文書群構造」(『山口県文書館研究紀要』37)

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毛利家文庫

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