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文書群名 増野家文書
分類 諸家文書> 増野家文書
点数 865
伝来地
目録内容 閲覧室目録
組織歴・履歴 増野家は、江戸時代、萩藩永代家老益田家の家臣として活動した家(陪臣)。明治初期の益田家の給禄帳「益田親祥家来給禄帳」(県庁戦前A士族64)には、当時の当主増野勝太について「上士」、高67石とあり、益田家中の上級家臣であったことがわかる。増野家文書には、同家の系図・由緒書の類は含まれていないが、残された文書からは、江戸時代の当主として、1佐助(元禄期)、2禅関(正徳期)、3庄兵衛〈正兵衛〉(明和〜天明頃)、4正蔵(明和〜寛政頃)、5正八・正次(寛政頃)、6正蔵(文化〜天保)、7勝太(幕末)などの名が確認できる(改名は未確認)。江戸時代の増野家は、益田家中において目代役、加判役、御側頭人役、目付役、組頭役などを勤めている。また、給地を阿武郡の上小川村・弥富村・三原村に有していた。明治初期には、増野勝太が浜田県吏員として勤務していたことがうかがわれる(NO639〜641など)。また明治20年代には増野安五郎が小学校教員として活動している。/増野家文書には、増野家同様、益田家家臣であった栗山家の文書が含まれている。栗山家は、江戸時代、萩藩永代家老益田家の家臣として活動した家(陪臣)。明治初期の益田家の給禄帳「益田親祥家来給禄帳」(県庁戦前A士族64)には、当時の当主栗山半左衛門(久太郎)について「上士」、高100石とあり、益田家中の上級家臣であったことがわかる。「御一行写・家系写・聞伝書」(NO661)や「家譜」(NO662)によれば、藩政初期、益田元祥に従い石見国から防長に移住した栗山家初代道印は、当初「医業相勤申」ていたが、その後、「医業」は娘に譲り品川玄佐なる人物に医術を伝授したという。その後の栗山家は、益田家中の年行司役、組頭役、側用人、萩目代役、須佐加判役などを勤めている。給地は阿武郡上小川村にあった。六代勝安(〜寛政11年〈1799〉卒)は、増野庄蔵知方の次男が幼少であったことから増野家の中継養子に入ったという(栗山家家督は息子に譲る〈寛政頃〉)。詳細は不明だが、互いに益田家家中の上士であった栗山家と増野家は深いつながりにあり、その縁で栗山家文書が増野家に伝来したものと推測される。
内容 本文書(広義の増野家文書)は、江戸時代、萩藩永代家老益田家の家臣(陪臣)として活動した増野家に関するもの(狭義の増野家文書)と、同じく益田家家臣の栗山家に関するもの(栗山家文書)で構成される。狭義の増野家文書と栗山家文書ともに、萩藩永代家老益田家家臣の家文書としては量的質的にまとまった文書群。/狭義の増野家文書は、江戸時代における同家の活動に関わって蓄積された文書【1】増野家(近世)と、明治期以降における同家の活動に関わって蓄積された文書【2】増野家(近代)に大別される。【1】増野家(近世)は、1.萩毛利家(萩藩主毛利家に関するもの)、2.益田家(増野家の主家益田家に関するもの。益田家の法令類含む)、3.御奉書・御意書・願書類(益田家から増野家へ与えられた奉書・御意書、増野家から益田家へ提出された願書類など)、4.履歴・褒賞、5.諸役所勤(増野家が益田家中の諸役を勤めたことに関わるもの)、6.組頭(増野家が益田家中の組頭役を勤めたことに関わるもの)、7.給地(増野家給地とその経営に関わるもの)、8.兵法・武術、9.金融貸借、10.家政、11.一件もの、12.書状、に分類される。/栗山家文書は、江戸時代における同家の活動に関わって蓄積された文書【1】栗山家(近世)と、明治期以降における同家の活動に関わって蓄積された文書【2】栗山家(近代)に大別される。【1】栗山家(近世)は、1.系図・系譜、2.御奉書・御意書類(益田家から栗山家へ与えられた奉書・御意書類)、3.組頭(栗山家が益田家中の組頭役を勤めたことに関わるもの)、4.給地(栗山家給地とその経営に関わるもの)、5.兵法・武術、6.医術、7.諸事に分類される。
論文・翻刻 ▽『山口県史 史料編 近世7』(山口県 平成26年)に、「増野庄兵衛給地打渡」(NO191)、「上小川・弥富・三原万知行米取帳」(NO217)、「米割方目安根帳写」(NO216)、「百姓納物」(NO231)、「益田家四量之法」(NO514)の5点が翻刻されている。
関係地域 萩市須佐
キーワード 陪臣(萩藩永代家老益田家家臣)/栗山家
文書の年代 寛永3年(1626)〜昭和27年(1952)

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