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- 文書群名
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福場家文書
- 分類
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諸家文書 > 福場家文書
- 点数
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109
- 伝来地
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- 目録内容
- 組織歴・履歴
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福場家は、江戸時代、萩藩奥阿武宰判下田万村(現萩市田万川)の武塔天神(のち辻山神社)および八幡宮の神官を務めた家である。両社以外の近隣諸社の祭事なども担っていた。代々当主は帯刀、兵部、刑部、左中、但馬、豊後、菅治などを名乗った(No.9・34ほか。以下「福場豊後家」と表記)。一方、上田万村の宕山(たごやま)八幡宮の大宮司を務めた別の福場家があり、代々この家の当主は豊前、能登、主税などを名乗った(以下「福場能登家」と表記)。宕山八幡宮は武塔天神を含む江崎村・上下田万村の38社を末社とする神社であったが、武塔天神は福場豊後家が祭事を執り行っていた。福場豊後家は福場能登家の「下社人」に当たる(No.83ほか)。福場豊後家は、上下田万村・小川村を知行地とする萩藩永代家老益田家との関係も深く、福場家代替わりの際には益田家当主へ御目見し名替の承認を受けた(No.13)。その際益田家の奥方から輪袈裟が下賜された。それらの儀式は須佐の御田屋ではなく萩御屋敷で行われた。なお、寛保元年(1744)に宕山八幡宮の寺社由来書を提出した神主福場能登は上記の福場能登家にあたる。
- 内容
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文書は、江戸時代から明治期、福場豊後家が武塔天神の神官として活動したことに関わり作成・取得したもので構成される。(1)由緒 (2)上京願 (3)祝詞・儀式 (4)武塔天神等 (5)通達類 (6)明治期 (7)諸事 に分類した。(1)由緒は、福場豊後家の由緒、経歴に関わる文書を配列した。前述のように福場豊後家は古くから武塔天神の祭事を任され散銭(賽銭)なども福場能登家と分配してきたが、同社祭事の扱いにつき能登家が異議を申し立て、長く豊後家と争論となっていた。このため争論関係の文書のほか両家の由緒を申し立てた文書が多数含まれており、それらを配列した。(2)上京願は、豊後家が吉田家からの神道裁許を拝領のため上京する際の願書、(3)祝詞・儀式は祝詞や六根清浄大祓など神道の諸儀式関連の文書、(4) 武塔天神等は武塔天神ほか諸社に関する文書、(6)明治期は明治期の文書を配列した。
- 論文・翻刻
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『田万川町史』(1999年)、『防長寺社由来』第6巻(1985年)、『防長風土注進案 21』(1964年)
- 関係地域
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- キーワード
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神社/社人
- 文書の年代
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正徳3年(1713)~明治7年(1874)