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- 文書群名
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阿野家文書
 - 分類
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諸家文書 > 阿野家文書
 - 点数
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5
 - 伝来地
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美祢市秋芳町
 - 目録内容
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閲覧室目録
 - 組織歴・履歴
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家伝によれば,阿野氏は源義朝七男で義経の同腹の兄に当たる阿野全成の子孫と伝える。戦国期の天正年間には,長門国美祢郡堅田の給人の一人として名が見え,毛利氏の家臣となっていた。その後帰農し,18世紀の享保年間には「証拠物預主」という役職名で,堅田弁才天池の用水管理に関わっていた。
 - 内容
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阿野氏が戦国期以来,給人あるいは「証拠物預主」として堅田弁才天池の用水慣行に携わってきたことに関わる文書からなる。掟条書(NO1(5の3))は,堅田・下嘉万間に生じた水論に際して,先例を吟味して用水方法を取り決めたもので,中世の用水慣行の史料として大変貴重である。近世においてもこの地域ではたびたび水論が起こっており,当掟条書は,先例として伝えられてきた。/なお,関連史料として「恵藤家文書」(『山口県史 史料編 中世3』所収)、「飯田家文書」(当館寄託)がある。
 - 論文・翻刻
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▽樹下明紀・吉本一雄「美祢郡嘉万地区における水論史料 ―堅田弁天川水かかりを中心として―」(『山口県地方史学会』27号,1972年)▽服部英雄「長門国堅田弁財天池水聞書」(『遥かなる中世』6号,1985年)▽秋枝顯治「弁天川の水利慣行と下嘉万落水の文書について」(『秋芳町地方史研究』43号,2007年)▽『秋芳町史』(秋芳町,1991年)□『山口県史 史料編 中世3』(山口県,2004年)
 - 関係地域
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美祢市秋芳町
 - キーワード
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水争論
 - 文書の年代
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天正11年(1583)〜嘉永6(1853)