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文書群名

朝倉家文書

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諸家文書  >  朝倉家文書

点数

134

伝来地

目録内容

閲覧室目録

組織歴・履歴

朝倉家は、江戸時代、徳山藩に仕え代々御用絵師として活躍した家。中でも18世紀後期から19世紀中期に活躍した絵師、4代光世・朝倉南陵は著名。/4代光世・朝倉南陵(等圭・瑚南、天保14年没、88才)は、明和4年(1767)に家督を相続(3人扶持、格式御絵師)、天明5年(1785)12月に加増され禄高25石となる。はじめ菅江嶺に学び、次いで萩藩の雲谷等徴・等竺に師事し、さらに江戸で谷文晁に学んだ。歴代徳山藩主肖像画をはじめ、寛政3年「領内大絵図」、寛政5年「遠石八幡宮御祭礼絵馬」、寛政9年「花岡八幡宮御祭礼絵馬」、寛政11年「徳山藩主肖像」(5・6代)、文化7年「徳山東山櫨地新開図面」、文政13年「歴代藩主肖像」7幅などが知られている。/また、文化期、伊能忠敬による全国測量地図作成事業の一行が防長両国にも来訪するが、これに係り光世は、文化3年に「測量方御絵図?其外御用」「測量方奈古大井図面其外共御用」、同6年に「測量方ニ付絵図其外共御用」、文化10年に「須万村測量方御用」を藩から仰せ付けられている。/文化7年(1810)に南陵を名乗る。長年の功績が認められ、文政元年(1818)六月に一代御中小姓格、同8年2月に永代中小姓格となる。/5代直逞(牧太、震山、等?、明治4年没、74才)・朝倉震陵は南陵三男。天保2年(1831)家督相続。初め萩の雲谷等徽に学び、のち江戸に出て谷文晁に従う。天保7年中小姓格。同9年震陵を名乗り、同13年(等?を号する。元治元年(1864)5月隠居。/6代光業(練治)・朝倉南嶺は、元治元年5月家督相続。前年文久3年(1863)3月、家督相続前の御雇身分で「御親兵役」を命じられ、徳山藩兵の一員として上京、4月11日の孝明天皇による石清水八幡宮行幸の際には本藩長州藩兵とともに供奉。そののち京都での8月18日政変も経験した。/戊辰戦争時には徳山藩献功隊の一員として箱館戦争にも参戦。/明治3年(1870)の脱退騒動時には鎮圧軍の一員として活躍し、のち褒賞を受けている。

内容

文書は江戸時代、4代南陵〜6代南嶺時代のもので大半が占められる。内容から14の主題を設定し配列した。主題は以下のとおり。1年代記・履歴 2譜録 3他家系図等 4勤仕向記録 5測量方御用 6献功隊 7土地 8書状 9絵図 10文芸 11仏事 12書籍等 13風聞 14諸事

論文・翻刻

▼吉田祥朔『近世防長人名辞典』朝倉南陵・朝倉震陵の項 ▼『徳山市史 上』(1984年)第4編近世の徳山 第7章文武の興隆 ▼小川亘『周南風土記』第3章(2006年) ▼栗?健「徳山藩絵師朝倉南陵と朝倉家墓所墓仕舞」(『徳山地方郷土史研究』44)  

関係地域

周南市

キーワード

徳山藩士/絵師/献功隊/伊能忠敬測量事業

文書の年代

保延5年(1139)〜平成2年(1990)

選択中文書群名

朝倉家文書

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