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- 文書群名
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近藤家文書(神奈川県)
- 分類
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諸家文書 > 近藤家文書(神奈川県)
- 点数
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16
- 伝来地
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神奈川県
- 目録内容
- 組織歴・履歴
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藤原姓。脩行の時に、近江国に住したことにちなみ、近藤を称するようになる。親家の時には、阿波国に移り住み平家に属したとされる。その後も居所は一定しておらず、盛政の代には讃岐国に住み、「弓馬之故実」を極めたとされる。吉重の時、長宗我部家の家臣として活動するが、子・清友は出奔して毛利元就の麾下に入った。その後、近藤家は毛利家家臣として活動した。
- 内容
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No.1(4の1)~(4の4)およびNo.2(5の1)~(5の2)は、『閥閲録』に写しが収録されており、近藤惣(宗)左衛門(萩町人)が文書を所持していたことがわかる。 『閥閲録』に掲載されている文書は毛利家と近藤家の関係を示すものに限られるが、『閥閲録』未収録文書には吉見家との関係を示す内容のものが含まれている。吉見家とは、永久万五郎が吉見広頼室に奉公(No.2〈5の1〉・〈5の2〉)したことにより関係が生じたものと思しい。 なかでも注目されるのは、No.3の近藤吉重書状である。文書によれば、吉重の子・清友は吉重のもとを離れて安芸国に赴き、毛利家に仕官している様子がうかがえる。系図(No.4)には、清友は故あって「出奔」とある。文書中に登場する「千王殿」は、土佐国・長宗我部元秀の子・国親の幼名で、元秀が岡豊城に籠城した際に連れ出されて土佐国の一条氏のもとに身を寄せたとされる人物である。千王丸を連れ出したのは「近藤某」と紹介されることがあるが、本文書によって、吉重(あるいは清友も)が千王丸を連れ出した可能性を指摘することができる。 また、清友が毛利家に仕官したことで毛利家家臣としての近藤家の歴史が始まり、その後この系譜は、幕末・明治期に活躍した萩藩士・近藤清石につながることとなる。
- 論文・翻刻
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『萩藩閥閲録 第四巻』・『萩藩閥閲録 遺漏』(マツノ書店)、山本大『人物叢書 長宗我部元親』(吉川弘文館、1960年3月)
- 関係地域
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- キーワード
- 文書の年代
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15世紀前半~慶長3年