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文書群名

飯田家文書

分類

諸家文書  >  飯田家文書

点数

10

伝来地

秋芳町

目録内容

閲覧室目録

組織歴・履歴

飯田家は、門名を「みずがさこ」といい、戦国時代には毛利氏の家臣で、長門国美祢郡堅田に給地を持っていた。江戸時代には帰農し、堅田弁天池(現美祢市秋芳町)の用水管理に携わっていた。これと密接な関わりを持つ堅田弁財天社(厳島神社)の「念仏踊」(腰輪楽)において,同家は今でも「水年寄役」を務めている。

内容

文書は、飯田家が堅田弁天池の水年寄として管理してきた堅田と下嘉万の水争論に関する文書が中心。

論文・翻刻

▼樹下明紀・吉本一雄「美祢郡嘉万地区における水論史料」(『山口県地方史研究』27、1972) ▼樹下明紀「近世水論の様相−美祢郡嘉万弁天池水をめぐって−」(『山口県地方史研究』30、1973) ▼服部英雄「長門国堅田弁財天池水聞書」(『遙かなる中世』6) ▼秋枝顯治「弁天川の水利慣行と下嘉万落水の文書について」(『秋芳町地方文化研究』43) ▼文書館ニュース42(2008)

関係地域

美祢市

キーワード

厳島神社弁天池水年寄

文書の年代

近世〈宝暦13〉〜明治3

選択中文書群名

飯田家文書

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