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- 文書群名
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林家文書(山口市2)
 - 分類
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諸家文書 > 林家文書(山口市2)
 - 点数
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130
 - 伝来地
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 - 目録内容
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閲覧室目録
 - 組織歴・履歴
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本姓は大江。家伝によれば,安芸毛利氏の祖季光の子光麿が周防大内氏を頼り,その家臣となったという。尤も,安芸毛利氏の中には,南北朝期以降防長に来住して大内氏やその重臣陶氏の家臣となり,戦国期に毛利氏に服属した際に主家を憚って苗字を変えた家が複数ある。この林家もその流れを汲む家と考えられる。近世には,萩藩士として毛利家に仕え,大組に属した。幕末の林三郎祐は,諸隊の一つ干城隊分隊長を務め,林余四郎も精鋭隊に属して幕長戦争(石州口の戦い)に加わった。一方,萩藩永代家老の福原家臣には藤原姓の林家があり,長門国阿武郡篠目村(現,山口市阿東篠目)に在郷していた。明治30年(1897)に,この福原家臣林家子孫の房雄が萩藩大組士子孫の林成一の養子となり,同家を継いだ。『萩藩閥閲録』遺漏2の2林八郎右衛門家(「譜録」は53林八郎右衛門房方家)がこの家に当たる。
 - 内容
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本文書群は,(1)萩藩大組士林家伝来の文書と(2)福原家臣林家伝来の文書とに大別される。前者は,戦国期に大内氏や陶氏から与えられた感状・安堵状・官途推挙状,及び主に江戸時代に毛利氏から与えられた官途書出,明治期に藩府から与えられた褒状等をまとめた巻子(NO.1)が中心。ほかに萩藩2代藩主綱広が6歳の時書いた書(NO.2)もある。後者には,房雄の父岩男の袖印(NO.4)や岩男・房雄父子が映ったガラス乾板の写真(NO.5)が含まれる。 令和元年度54件111点追加。追加寄託されたものはほとんど(1)であり、(2)は福原家の分限帳「御家頼中名寄分限帳」(NO6)の1点。(1)は、家督相続等に関し林家が萩藩から与えられた加判衆連署奉書、御意書、それに関連する差紙、御用状、および毛利家系図、分限帳などで構成される。主要な奉書類は、大正4年、林房雄により「古文証」2冊に編綴されている。
 - 論文・翻刻
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▼『萩藩閥閲録 遺漏』
 - 関係地域
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 - キーワード
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大内氏/萩藩大組士/陪臣(萩藩福原家臣)
 - 文書の年代
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文明11年(1479)〜明治3年(1870)