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- 文書群名
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                                    荒瀬家文書(防府市) 
- 分類
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                                    諸家文書 > 荒瀬家文書(防府市) 
- 点数
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                                    862 
- 伝来地
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- 目録内容
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                                    閲覧室目録 
- 組織歴・履歴
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                                    荒瀬家は農の家であったが、武五郎桑陽(1808〜84)が上洛して儒学・経学・天文学・暦学等を修め、いったん三田尻に帰ったのち長崎へ赴いた。元治元年(1864)岸津村(防府市江泊)に江沖塾(こうちゅうじゅく)を開き、上山満之進ら近在の後進を育てた。塾跡に近い防府市江泊に明治18年建立の「桑陽荒瀬先生之碑」、自宅に昭和7年建立の頌徳碑がある。/桑陽の子、幾造収甫(1841〜84)は1860年長崎に赴き、ポンペ・ファン・メーデルフォールトに入門、三田尻に帰ってからは山口県立華浦医学校教師等の公職に就いたが、のち自宅にて開業した。/収甫の子、政一(1876〜1925)は1894年に上京して済生学舎に入学し、医師開業免状を得て三田尻に帰り、本籍地にて開業する一方で、日露戦役には軍医として従軍した。政一の資料6点は、東京都青梅市の(財)日本医学文化保存会の医学文化館に寄贈されている。/政一の子、進(1900〜1986)は京城帝大助教授、大阪帝大医学部、和歌山医大、国立善通寺病院長・同名誉院長をつとめた。 
- 内容
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                                    文書群は以下の内容のもので構成される。(1)荒瀬桑陽関係資料、(2) 荒瀬桑陽頌徳碑関係資料、(3)荒瀬収甫・ポンペ関係資料、(4)荒瀬政一関係資料、(5)荒瀬進関係資料、(6)軸物、(7)短冊・書画、(8)書籍・印刷物、(9)写真、(10)絵葉書類、(11)その他 
- 論文・翻刻
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                                    ▽『防府市史』『江戸時代ひとづくり風土記35 山口』ほか。 
- 関係地域
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                                    防府市 
- キーワード
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                                    漢学者/医師 
- 文書の年代
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                                    江戸後期〜昭和