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文書群名

山野井家文書

分類

諸家文書  >  山野井家文書

点数

178

伝来地

周南市

目録内容

組織歴・履歴

江戸時代の山野井家は、萩藩熊毛宰判八代村の庄屋、畔頭を務めた。八代村は村高511石余、萩藩一門宍戸家およびその分家の給領地であった。同家と地域の歴史を記す「覚書之事」(No.109)は、萩藩の貞享検地が行われた貞享3年(1686)、同家の佐三郎の誕生から記述が始まっており、古い歴史をもつ家であったことがわかる。 山野井吉右衛門が藩へ提出した勤功書を文政12年(1829)に書き写した「山野井家勤功書写」(No.1)によれば、(1)山野井家は代々藩に勤功を重ね名字唱を認められた、(2)祖父山野井与右衛門まで4代が八代村の庄屋を務めたが、宝暦2年(1752)11月に辞職した、(3)父治右衛門は、八代村が呼坂村へ添石となった時期(天明7年(1787))に八代村の庄屋代と畔頭を兼帯した、(4)八代村が呼坂村から分村されると八代村の庄屋を善右衛門が務めた(寛政3年[1791])ことなどがわかる。一方、(5)山野井吉右衛門は、寛政9年まで隣村の前山代宰判長野村の庄屋も務めていたが、同5年から吉右衛門が代勤を務め、吉右衛門は同9~12年に八代村の庄屋を務めたという、 一方、山野井吉右衛門(上記の吉右衛門とは別家の人物か)が、明和2年(1765)から八代村の庄屋を務め、その後天明7年(1787)まで恵米方を兼帯、寛政3年(1791)からは大庄屋を拝命したとの記述もある。本家・分家の山野井家が公職を務めていたと推測される。 幕末期には山野井清之助が八代村の畔頭、のちには庄屋を務めている。 明治10年代には、水車営業および酒造業を営んでいる。 明治末~昭和10年代には八代信用購買販売組合との関わりがみえる。

内容

文書群は、大きく、1山野井家の「家」としての活動に関わる近世・近代の文書、および、2藩政期、八代村の庄屋・畔頭を務めたことに関わる文書、に大別される。1には、家内および地域の歴史を記した「覚書之事」(No.109)、「万控」(No.110)が残る。2には、慶応3年に書き写されたとみられる八代村の地下上申および地下上申絵図が残る。1・2以外には、明治末~昭和10年代の八代信用購買販売組合に関するもの(3)、 戸畑鋳物株式会社に関するもの(4)がある。

論文・翻刻

八代村誌編纂委員会編『八代村誌』 1960年9月

関係地域

キーワード

庄屋・畔頭(萩藩熊毛宰判八代村)

文書の年代

江戸時代中期~昭和10年代(貞享3年[1686]~昭和12年[1937])

選択中文書群名

山野井家文書

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