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- 文書群名
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縄田家文書
- 分類
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諸家文書 > 松村政弘収集文書 > 縄田家文書
- 点数
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319
- 伝来地
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- 目録内容
- 組織歴・履歴
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本文書群は所蔵者が4番目に収集した「縄田家文書」にあたる。 縄田家は、江戸時代以降、厚狭郡厚狭市に居を構えた。慶応2年(1865)縄田甚兵衛が作成した「御願申上候事」(No.242・243)には、曾祖父縄田新左衛門のとき本家を源次が相続し、次男又七には酒造株と田畠等が分与され別家を立てたとある。本文書群は、このときに別家として成立した縄田家に伝わったものである。この願書の作成者甚兵衛の父は庄右衛門、祖父が又七であった。又七は、算用師や庄屋を務め、庄右衛門も庄屋を務めた。宝暦13年(1763)又七は苗字御免となった。 幕末維新期と推定されている『山陽町史』掲載の街並み図(459~463頁)によれば、当時縄田姓の者が複数居住しているが、このうち、村田屋甚太郎の説明に「父甚兵衛」とみえる。本文書群にみえる文書宛所や作成者には「村田屋甚兵衛」「縄田乕吉」の名がみえるが、これが「甚太郎」につながる家筋である蓋然性が高い。 残された文書からは、縄田家は、綿・絹などの織物そのほかの商いを手掛けていたことがうかがわれる
- 内容
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文書は、ほとんどが縄田家(村田屋)の「家」としての活動、特に幕末から明治期に活動した縄田乕吉に関わるもので構成されている。 以下、12の項目を立て配列した 1勤功 2土地・家屋敷 3金融 4商売 5経営 6普請 7吉事 8仏事 9信仰 10書状 11諸事 12他家 「世並屋」にかかる帳簿等の文書があり、これは村田屋と婚姻関係より世並屋の文書が入り込んで伝来したものと推定される。これも区分せず一括して配列した。 なお、理由は不明だが、日向国児湯郡調殿(つきどの)村に関する文書や、薩摩藩領の日向国財部郷に関する文書が混在しており、これらは縄田家とは直接関係ないものと考えられるので「12他家」に配列した。そのほか、縄田家と直接関係が認められない文書についてもここに納めた。
- 論文・翻刻
- 関係地域
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- キーワード
- 文書の年代