階層検索
- 文書群名
-
野村家文書(長崎市)
- 分類
-
諸家文書 > 野村家文書(長崎市)
- 点数
-
55
- 伝来地
-
-
- 目録内容
-
閲覧室目録
- 組織歴・履歴
-
野村家は多々良姓。徳山毛利家文庫「譜録」では,923〜925が当該家のものである。譜録によれば,初代治右衛門信昌は,徳山藩立藩時に庄屋役を勤めていたことから,藩主毛利就隆から「治右衛門」の名を与えられたという。以後代々の当主は,地方役を勤めながら藩に対して献納をたびたび行っている。藩ではこの功績に対し,逐次加増と家格上昇を認めた。寛延元年(1748)には定三人扶持であったが,宝暦2年(1752)には禄高15石で格式徒士格(註),幕末の嘉永7年(1854)には禄高75石,格式御馬廻格となっている。近世文書の中心となっている平兵衛登春(初め連信)は野村家7代目。寛政6年(1794)に家督を相続した。妻は防府市宮市の兄部盤右衛門の女,後妻に棟居金之助景碩の大叔母を迎えている。彼も藩への献納を重ね,その結果,文化9年(1812)には25石,文政2年(1819)には中小姓格,天保7年(1836)には37石へと加増と家格上昇を果たした。
- 内容
-
野村家7代平兵衛登春期の徳山藩関係文書を中核とし,萩藩関係の文書及び近代の文書を含んでいる。登春関係は、登春はたびたび隠居していた7代藩主毛利就馴(隠居後は就友)の来訪を受けていることから,それに関する文書や、御蔵本への召し出しに関する文書である。萩藩関係は近世後期から幕末期のもの。また近代の文書には、吉冨簡一との関係も窺える文書がある。
- 論文・翻刻
- 関係地域
-
周南市徳山
- キーワード
-
徳山藩士(御馬廻)
- 文書の年代
-
寛政元年(1789)〜明治24(1891)