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- 文書群名
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馬屋原家文書
- 分類
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諸家文書 > 馬屋原家文書
- 点数
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30
- 伝来地
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- 目録内容
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閲覧室目録
- 組織歴・履歴
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馬屋原(ウマヤハラ)家は,本姓源。源義家の弟である義綱が上総国馬屋原庄(現,千葉県)に居住し,在名により馬屋原を称したのに始まる。14世紀の光忠の時,備後国神石郡(現,広島県神石高原町)に下向し,のちに同国の有力国人として勢力を伸ばした。戦国時代には,毛利元就の弟である相合元綱の嫡子(敷名元範)を養子に迎えるなど毛利氏との関係を強め,最終的には毛利氏の傘下に入った。/江戸時代には萩藩士(大組)として活動し、元詮(休閑)や元綱は毛利輝元の側近くに仕えた。なお,馬屋原家は、16世紀末の元政の時に,苗字を前原に改めたが,之勝代の元禄9年(1696)に馬屋原に復した。「閥閲録」巻41馬屋原弥四郎家(「譜録」う50馬屋原弥四郎輔範家)がこの家に当たる。
- 内容
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馬屋原家が,江戸時代に萩藩士として活動したことにより,作成・授受した文書群からなる。主なものとしては,之勝が給地である長門国阿武郡嘉年村において開作を願い出たもの(No7・8)や,忠政が「御先手御鉄砲頭役」などの諸役を務めたことに関わるもの(No10〜14),元綱が鶫を贈ったことに対する初代長府藩主毛利秀元の礼状(No17)などがある。なお,元綱は,数年秀元に仕えたことがある。
- 論文・翻刻
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『萩藩閥閲録』2(山口県文書館,1968年)
- 関係地域
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- キーワード
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備後国人/萩藩士(大組)
- 文書の年代
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慶長20年(1615)〜明治3年(1870)