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- 文書群名
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河崎家文書(旧神代村)
- 分類
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諸家文書 > 河崎家文書(旧神代村)
- 点数
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3
- 伝来地
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- 目録内容
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閲覧室目録
- 組織歴・履歴
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河崎喜太郎は,明治39年(1906)4月19日〜大正4(1915)年4月10日に山口県玖珂郡神代村(現,山口県岩国市・柳井市)の村長を務めた人物。
- 内容
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以下の3通で構成される。 (1)大正2年2月桂太郎書簡并立憲同志会宣言書(河崎喜太郎宛)/桂太郎が,立憲同志会を創立するにあたり,当時の山口県玖珂郡神代村の村長であった河崎喜太郎に協力を求めた書簡。文中に「何卒別紙御通覧之上」とある別紙が,印刷物の「立憲同志会宣言書」に当たる。書簡に「広ク帝国之有志諸君ト相謀リ新政党組織ニ着手致候」と書いてあり,「立憲同志会宣言書」にも「広ク天下同志ノ士ト謀リ」とあるように,全国各地の有力者に賛同を呼びかけたもの。 (2)(大正2年)6月12日江木翼書簡(河崎賢台〈喜太郎〉宛)/江木翼(たすく)が,桂太郎が発起人となった立憲同志会の創立にあたり,その政綱が「極メテ穏便ナル主義」であること等を説いて,是非とも賛同して欲しいと神代村村長の河崎喜太郎に依頼した書簡。江木翼は山口県出身の官僚政治家で,大正元年に第3次桂内閣で内閣書記官長を務めた。 (3)大正2年10月千家尊福書簡(河崎喜太郎宛)/千家尊福(せんげたかとみ)が玖珂地方において講話を行った際に,河崎喜太郎が尽力したことに対して礼を述べ,今後の協力を依頼した書簡。千家尊福は,島根県出身の宗教家,政治家。出雲大社宮司である国造家に生まれ,教派神道出雲大社教を創始した。貴族院議員,埼玉・静岡県知事,東京府知事,司法大臣等を歴任した。
- 論文・翻刻
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▼『大畠町史』(大畠町,1992年)
- 関係地域
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岩国市・柳井市(神代)
- キーワード
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村長
- 文書の年代
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大正2年(1913)