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- 文書群名
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末兼家文書
- 分類
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諸家文書 > 末兼家文書
- 点数
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269
- 伝来地
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宝塚市
- 目録内容
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閲覧室目録
- 組織歴・履歴
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末兼家は、江戸時代、萩藩一門・宍戸家の家臣であった家。 明治3年(1870)「宍戸孫四郎家来分限帳」(当館蔵・県庁戦前A士族55)によれば、宍戸家家中には、「家老」末兼亀五郎家(200石)、同じく「家老」末兼豊平家(50石)、「中士」末兼秀之助家(25石)があるが、本文書群はこの中の亀五郎家に伝来したものと判断される。なお、亀五郎家は同文書に「熊毛郡小松原村住居」とある。 文書からは、末兼家が宍戸家家中で加判役を務めていたことがわかる。
- 内容
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中世文書として、天文18年「大内義隆一字書出」、およびそれに係わる同年「某受取状」と「進上目録」の原本が含まれている(後者は、一枚の料紙の裏表に記されたもの)。ただし、この文書が末兼家に伝来している理由は定かではない。 文書の大半は近世文書で、末兼家の役の進退、隠居、相続、冠婚葬祭などに係る、歴代宍戸家当主の書状、御意書、宍戸家家臣(加判役)の連署書状などが大半を占める。 弓道ほかの免許状もまとまって残る。 宍戸家が文化6年(1809)に創立した郷校徳修館(とくしゅうかん・県指定有形文化財)に係る文書(末兼家の講釈聴聞に対する褒状ほか)もある。 系図・系譜をまとめた記録は見あたらない。
- 論文・翻刻
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▼「宍戸孫四郎家来分限帳」(県庁戦前A士族55)
- 関係地域
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周南市小松原
- キーワード
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陪臣(萩藩宍戸家臣)
- 文書の年代
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中世〜明治6