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文書群名

阿武家文書(美祢市2)

分類

諸家文書  >  阿武家文書(美祢市2)

点数

285

伝来地

目録内容

閲覧室目録

組織歴・履歴

阿武(あんの)家は,藤原姓。家伝によれば、藤原鎌足の後裔が長門国阿武郡に移住し、阿武氏を称したという。子孫は、代々大内氏の麾下に属して、阿武郡の数郷を支配し、高佐郷(現萩市)に居城を築いていたが、元祖の忠真の時、長門一宮の祭礼において闘争に及んで討たれたため、その遺児は三見(現萩市)に逃れた。/慶長12年(1607)に忠真の十世の嫡流である忠重(長左衛門)が、三見の阿武氏から分家して長門国美祢郡嘉万の井出口(現美祢市)に来住した。その後忠重の長男忠道の時に有等市(嘉万市)へ移り、屋号を「田中屋」と号して農作のかたわら商業を営んだ。/忠道の三男で長兄忠賢の跡を継いだ忠智の時、有等市(嘉万市)の領主である阿川毛利氏から町年寄に任じられ、さらに忠智の子・忠興(吉蔵)は、阿川毛利家領内で永代苗字や永代帯刀を許され、同領の庄屋役、御修甫方、大年寄役などを務めた。/阿武寿一(じゅいち、初名忠則、1848〜1920)は、忠興の次男で跡継ぎを失った実兄忠隆の養子となり、阿武家を継いだ人物である。慶応2年(1866)の幕長戦争時には、阿川好義隊に属して小倉口で戦った。藩政期に阿川毛利家領の大年寄役や嘉万市町年寄役を務めたのち、近代になって明治12年(1879)嘉万上郷村会議員となったのを皮切りに山口県議会議員、郡会議員議長、美祢郡地主総代、防長米同業組合長、美祢水力電気株式会社社長等々の諸役を歴任した。

内容

阿武家の系譜・由緒を示す文書(含む家訓)のほかに、阿武寿一が公私にわたって親交があった人物から受け取った書翰類を台紙に貼り付けて保存したものがまとまって残されているのが特色。この中には、寿一が県会議員を務めていた関係で、知事からの書簡も含まれている。また藤田伝三郎など著名な実業家からのものも少なくない。

論文・翻刻

『角川日本姓氏歴史人物大辞典』35 山口県(角川書店,1991年)

関係地域

キーワード

町年寄/県会議員

文書の年代

天正4年(1576)〜平成15年(2003)

選択中文書群名

阿武家文書(美祢市2)

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