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- 文書群名
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三戸家文書(北九州市)
- 分類
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諸家文書 > 三戸家文書(北九州市)
- 点数
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35
- 伝来地
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- 目録内容
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閲覧室目録
- 組織歴・履歴
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萩藩士の三戸氏には,中世に安芸国山手村に居住していた山手三戸氏と同国院内に居住していた院内三戸氏があるが(『角川日本姓氏歴史人物大辞典35 山口県』),この三戸家はどちらの系統に連なるのかを含めて由緒は不明。/戦国期の三戸善兵衛尉は弘治4年(1558)毛利元就から土佐守に直接任官されているが,その子善兵衛尉が永禄4年(1561)に豊前国門司における大友氏との合戦に参加した際の軍忠を元就や隆元から賞された文書は,すべて毛利氏家臣の児玉氏に宛てられている。また三戸源十郎は児玉就忠の「被官」と明記されていることから,三戸家は児玉氏の配下,あるいはその家臣として活動していたと考えられる。/同家は江戸時代には,萩藩寄組士・佐世家の家臣となった。幕末期の三戸善兵衛(筆之丞,仲介)は7歳で家督を継ぎ,「御側役」などを務めて佐世家当主に近侍した。その後,財政関係の職務に従事するなど徐々に佐世家中で重用されていったようである。明治3年(1870)の「佐世仁蔵家来給禄帳」(『山口県行政文書』県庁戦前A士族50)には,禄高6石2斗,一代家老次席として三戸善兵衛の名が見える。閥閲録巻169佐世大学家来三戸八郎治がこの家に当たる。
- 内容
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三戸家が,戦国期に主に毛利氏譜代家臣の児玉氏配下の武将として活動したことにより受領した文書群と,江戸時代に佐世氏の家臣として活動したことにより受領した文書群とに大別される。このうち後者は幕末期の三戸善兵衛(筆之丞,仲介)が主家の佐世氏から拝命した諸役のいわば辞令を1巻にまとめたもので,陪臣の具体的な役職がわかる興味深い史料である。また前者は享保3年(1718)に三戸親正が1巻に仕立てたものであるが(NO1箱裏墨書),現状では台紙を含めて糊枯れが甚だしく,成巻時の正確な秩序はわからなくなっている。内容的には,永禄4年に毛利氏が大友氏と豊前国門司で合戦したことに関わるものが大部分。
- 論文・翻刻
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▼『萩藩閥閲録』4(山口県文書館,1967年)
- 関係地域
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- キーワード
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萩藩陪臣(佐世家臣)
- 文書の年代
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弘治4年(1558)〜安政2年(1856)