階層検索
- 文書群名
-
宇野家文書
- 分類
-
諸家文書 > 宇野家文書
- 点数
-
3000
- 伝来地
-
-
- 目録内容
-
閲覧室目録
- 組織歴・履歴
-
宇野家は,大内氏庶流宇野氏の末裔と伝え,戦国期は大内氏家臣の杉氏(木工助系)の有力家臣の一つであった。藩政期は,帰農して萩藩領熊毛宰判下久原村(現,岩国市周東)に居住していた。一方で,18世紀半ばに萩藩領熊毛宰判室積村(現,光市)で庄屋を務めていた原田家が,原田信吉の代(天保8年[1837]頃)に下久原村に来住して,名字を宇野と改めている。当地の宇野家を継いだものと推測される。その後,幕末の茂吉郎(のち茂吉)が近隣の上小周防村,上久原村,長野村の庄屋や,農兵頭取助役などを務めている。また,宇野家は屋号を「有延(有信)屋」といい,家業としては,酒造業を営んでいた。/近代以降は,茂吉が下久原村村会議員を,英助が山口県県会議長を,茂雄(英助次男)が山口県県会議員を務めたことなどが確認できる。/なお,山口県の作家として著名な宇野千代の父俊次は同家の出身であり(茂吉の次男),千代も幼少の頃,父の実家である同家で暮らしたことがある。
- 内容
-
宇野家が,主に明治以降の「家」としての活動により作成・授受・収集された文書群が大部分を占める。それ以外では,幕末に高森市に駐屯した遊撃隊をはじめとるとする諸隊の兵站の一角を担ったことにより作成・授受された文書群がまとまって残されている。また,明治以降の書籍類の中に,英語関係のものと大量の尺八譜面が含まれているのが特色。一方,幕末の諸隊関係のものを除けば,近世〜近代を通じて宇野家が公職を務めたことに関わって作成・授受された文書はほとんど残されていない。家業の酒造の経営に関わる文書も同様。/なお,本文書群の大部分は,内容を記した貼紙がつけられた木箱に納められていた。これは,瀬左衛門・茂吉郎・英助ら宇野家各代による整理の結果を反映しているものと推測される。/基本的に,この木箱単位で整理・配列を行い目録を作成している。
- 論文・翻刻
- 関係地域
-
-
- キーワード
-
庄屋/諸隊/尺八
- 文書の年代
-
元禄4年(1691)〜昭和31(1956)