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- 文書群名
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長井家文書
- 分類
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諸家文書 > 長井家文書
- 点数
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717
- 伝来地
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- 目録内容
- 組織歴・履歴
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長井家は大江姓。大江広元の次男時広を祖とし,萩藩主毛利家とは同族である。近世は大組に属した。「譜録」な123長井次郎右衛門時安家がこの家である。また当該家からは幕末に長井雅楽(時庸,文政2年[1819]〜文久3年[1863])が出て萩(長州)藩政を主導したが失脚,非業の死を遂げている。雅楽没後,娘の貞子とその子・時彦は毛利公爵家に仕えている。なお近世初期,一族の長井元房は毛利輝元に仕え,輝元没後の寛永2年(1625)に殉死したが,その子・元則の時,家が絶えた。
- 内容
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長井雅楽関係文書【1】が中核を占める。それ以外は,雅楽以前の長井家が萩藩士として活動したことにより作成・授受した文書群【2】,雅楽没後の幕末以降,特に近代に入ってからの貞子・時彦親子の書簡を中心とした文書群【3】,ならびに明治を主とした和歌詠草が書画、書籍【4】に大別される。/【1】は、雅楽が藩士として作成・授受された文書は勿論であるが,その一方で,夫人や娘の貞子との間で取り交わされた書状も多く残り、政治家・長井雅楽の違った一面を垣間見ることができる。【2】は大組の藩士として長井家が活動した際に作成・授受された文書である。その中でも、上述の長井元秀の殉死により殉死者を出した一族として、天樹院様(毛利輝元)の法要への参列や断絶家の家名再興などの文書が見え、藩主法要と家臣との関わりの一端を知ることができる。【3】は書簡が中心である。雅楽夫人と貞子,貞子と時彦といった親子間の書簡にとどまらず,元来は毛利家に残るはずの書簡(例:毛利元昭宛書簡)も含まれる。貞子が毛利家の奥向きに仕えていたことから,長井家に伝わったものと考えられる。【4】中の和歌・詠草類も,上記同様、貞子が毛利家での奉職中に手にしたものであろう。書籍類は貞子・時彦が毛利家での活動の中で収集されたものと思われる。
- 論文・翻刻
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中原邦平『長井雅楽詳伝』(マツノ書店,1979/2015再版)
- 関係地域
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- キーワード
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萩藩士/長井雅楽
- 文書の年代
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慶安4年(1651)〜昭和41年(1966)