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- 文書群名
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兼重家文書
- 分類
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諸家文書 > 兼重家文書
- 点数
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4
- 伝来地
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周南市
- 目録内容
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閲覧室目録
- 組織歴・履歴
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幕末維新期、兼重牧太が第二奇兵隊(のち健武隊)の隊士として活動した。兼重牧太は、熊毛宰判呼坂村庄屋河内直次郎存内畔頭仲之進組の出身(「第二奇兵隊姓名支配付」『山口県史 史料編』幕末維新6 1035頁)。明治元年(1868)、27才。明治元年1月、鳥羽伏見の戦いが起きると、健武隊士であった兼重牧太は1月6日の京都・山城八幡の戦いに参戦し、この戦いで負傷している(『防長回天史』拾 24頁)。
- 内容
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幕末〜明治前期の兼重牧太に関する文書で構成される。明治元年1月の山城八幡の戦いで負傷した兼重牧太に対する山口藩(萩藩)加判衆の褒状、明治2年6月、兼重牧太に対する山口藩からの戦功賞典米下賜状などを含む。
- 論文・翻刻
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▼『防長回天史』 ▼「健武隊戦争度数付」(毛利家文庫 68諸隊67)/「第二奇兵隊姓名支配付」(同68)/「第二奇兵隊戦争度数付」(同69)/「元第二奇兵隊戦功録」(同71)
- 関係地域
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周南市
- キーワード
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第二奇兵隊
- 文書の年代
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明治元年(1868)〜明治8年(1875)