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- 文書群名
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小川家文書
- 分類
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諸家文書 > 小川家文書
- 点数
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114
- 伝来地
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下関市
- 目録内容
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閲覧室目録
- 組織歴・履歴
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小川家は、江戸時代、萩藩一門厚狭毛利家家臣として活動した家。文化10年(1813)の厚狭毛利家分限帳では、中小姓通に小川半之丞の名が確認できる(『山陽町史』356〜357頁)。小川家文書に含まれる御意書などによれば、19世紀段階の小川家は、厚狭毛利家中において御側役、御供頭、御奏者番、御用人御直目付など、主に萩御用所の役職を勤めていたこと、文久元年(1861)には小川半兵衛が一代中臣通に取立てられたことなどがわかる。なお、明治3年(1870)の「毛利一格家来給禄帳」では、中士一代上士として小川半左衛門(51才)の名が確認できる(『山陽町史 資料編中巻』)。
- 内容
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文書の半数以上は、江戸時代の小川家の活動に関わるもので構成される。これらは、厚狭毛利家加判衆から小川家に発給された奉書・御意書類(「1.奉書・御意書」)と小川家の経済活動に関わるものや地券(「2.借用証文類・地券」)に大別される。前者には、隠居や家督相続の許可、役職任免に関わるもののほか、前当主の妻が夫の看病を長く務めたこと、当主が両親に孝養を尽くしたことに対する褒状もある。上記以外に、萩藩領船木宰判際波村の畔頭を勤めた伊藤家に関する文書がまとまって残る(「3.船木宰判際波村畔頭伊藤家」)。これらが小川家文書に含まれている経緯は不明である。なお、過去に「1.奉書・御意書」を中心に作成された小川家文書の目録(翻刻含む)を「4.文書目録」に配列した。
- 論文・翻刻
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『山陽町史 資料編中巻』(山陽町教育委員会 1973年)/『山陽町史』(山陽町教育委員会 1984年)
- 関係地域
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山陽小野田市
- キーワード
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陪臣(厚狭毛利家臣)
- 文書の年代
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天明4年(1784)〜明治初年