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- 文書群名
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中山家文書(周南市)
- 分類
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諸家文書 > 中山家文書(周南市)
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429
- 伝来地
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- 目録内容
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閲覧室目録
- 組織歴・履歴
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中山家は,戦国期の永禄末年に江良氏(陶氏重臣で,毛利氏服属後は寄親を務めた家)の家臣として,筑前国立花城(現,福岡県福岡市・糟屋郡新宮町)に籠城していたことが確認できる。江戸時代は帰農して周防国都濃郡大向(当初萩藩領。元和7年(1621)以降は徳山藩領:現,周南市)に居住していたが,延宝年間頃に徳山の幸丁(往還道沿い)へ移住して町人となった。のち町年寄を務め,蔵本付格となった。中山新六・伴七(善右衛門)父子は,正徳〜享保年間に徳山藩再興運動の中心人物であった奈古屋里人と深くかかわり,再興運動に奔走した。同家の屋号は,最初松村屋で,のち古屋と改めた。家業としては,酒造業を営んだことが知られる。中山宗三郎が当主を継いだ幕末ごろは困窮し,萩本藩領へ活動の場を求めたり,明治元年(1868)には長崎府藩事に就任した伊藤博文に従って長崎で活動したりした(NO297(71の31))。のち中山家は富田古市(現,周南市)へ移住し,中山東一郎が昭和戦前期に南陽町長を務めている。
- 内容
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中山家が(1)「家」として活動した過程で作成・授受された文書群,(2)江戸時代に町年寄などとして活動したことに関わって作成・授受された文書群, (3)近代に公的な役職に就任したことに関わって作成・授受された文書群,に大別される。数量的には(1)に分類される文書が大部分を占めている。(1)には系譜・由緒や酒造に関わる文書のほかに,中山伴七(古屋善右衛門)が奔走した徳山藩再興運動に関わる文書が含まれているのが特色。また,入手した経緯は不明ながら,徳山藩主宛ての徳川綱吉御内書も伝わる(NO180)。(3)には,明治5年(1872に取りまとめた旧徳山藩領の地方(町方)の有力者から差し出させた賞美や勤功に関する書類がまとまって残っており,彼らの家筋を知るうえで有用。
- 論文・翻刻
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▼『山口県内所在史料目録』第6集(山口県文書館,1979年) ▼『徳山市史』上巻(徳山市,1984年) ▼『南陽町誌』(南陽町,1964年) ▼神本正律「徳山城下町の町人中山伴七とその家歴」 (『徳山地方郷土史研究』7,1986年) ▼栗崎 健「徳山藩再興に尽力した陰の功労者 中山伴七とその一族」 (『徳山地方郷土史研究』42,2021年)
- 関係地域
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- キーワード
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町年寄(徳山藩領)/徳山藩再興/町長
- 文書の年代