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- 文書群名
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南家文書
- 分類
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諸家文書 > 南家文書
- 点数
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74
- 伝来地
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山口市
- 目録内容
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閲覧室目録
- 組織歴・履歴
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南家作成の「家系永代記録」(NO.1)には、明治3年、柳井半九郎の長男小四郎が毛利敬親から「戦功ヲ賞」せられて25石を賜り、新たに南家を立てたと記されている。「騎馬ノ士族ニ御取建」とあり、大組士に取り立てられたと考えられる(ただし、明治3年の分限帳では、大組士として25石の禄をもつ「南東助」とその嫡子「小次郎」の名が見えており、小四郎との関連性は不明)。 南小四郎(〜大正10.1.12)は、陸軍軍人として活動した人物である。明治4年8月、陸軍少尉となり、明治初期には、佐賀の乱(明治7年2月)、萩の乱(明治9年1月)、西南の役(明治10年2月)などの士族反乱鎮圧に加わっている。明治23年6月、少佐となり、明治27年10月、朝鮮で発生した甲午農民戦争(東学党の乱)の鎮圧軍に参加する。明治28年3月朝鮮龍山兵站司令官、明治33年4月退役。退役後は、鋳銭司村の村会議員や在郷軍人会の分会長や評議員などの公職を務めた。 南璋(明治10.4.30〜?)は、小四郎長男。明治28年4月、将校子弟の教育機関である広島偕行社附属済々館に入塾。同年12月、騎兵第一大隊に入隊、明治30年11月、陸軍士官学校卒業、明治36年10月騎兵学校戦術科卒業、陸軍騎兵大尉補騎兵第一連隊中隊長となる。明治37年3月日露戦争従軍。明治42年10月陸軍騎兵少佐、大正2年8月補騎兵第8連隊長、朝鮮羅南駐屯、大正5年4月陸軍騎兵中佐、大正6年4月予備役。 南貞は小四郎次男で、柳井家を相続し柳井貞となるが、明治38年3月、日露戦争にて戦死。
- 内容
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南小四郎の活動に関わり作成、授受された文書を中心とし、息子璋、貞に関わるものを含む。小四郎関係では、甲午事件に関する文書が貴重。明治期の陸軍関係の文書として注目される文書群。 なお、文書が納められていた小四郎の軍用行李もモノ資料として重要。
- 論文・翻刻
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▼井上勝生『甲午農民戦争と鎮圧日本軍に関する基礎的研究』(2008)
- 関係地域
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山口市/朝鮮
- キーワード
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軍人(陸軍)/朝鮮/甲午農民戦争
- 文書の年代
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明治27〜大正13年