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- 文書群名
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氏本家文書
- 分類
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諸家文書 > 氏本家文書
- 点数
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369
- 伝来地
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上関町
- 目録内容
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閲覧室目録
- 組織歴・履歴
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氏本家は、屋号を「代々屋(だいだいや)」といい、荒神勧請時に祝島三浦に居住していた三軒の一つであると伝えられ、大歳神社の氏子惣代として江戸時代以来神舞の世話役を務めてきた家である。島の社会は、大歳祭をめぐっては、三つの講集団(東・中・西)にわかれ、各堂(大歳神=荒神)を祀るダイグジ(大宮司)と呼ばれる家系があるが、氏本家は西のダイグジに当たる。同家は、大歳神社の祭礼に際しては、神舞舞殿上棟の大見合わせの役を務め、神様船に乗りこんでの酒迎えの儀式や次回の神舞開催年を決めるための米占い等もおこなった。
- 内容
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【1】江戸時代の萩藩領上関宰判岩見島村上一学領給庄屋家に伝来すべき文書群と、【2】氏本家が大歳神社の氏子惣代として江戸時代から神舞の世話役を務めたことに関わって作成・授受された文書群に大別される。このうち大部分を占める【2】は、祝島神舞関係史料の中で最大の分量を誇る。その特色は、(1)実際に神楽を舞う豊後別宮社側社人の役割を記した明治12年(1879)以降の神楽式次第がまとまって含まれていること、(2)明和6年(1769)の「荒神舞修補算用並諸道具買立大入目諸算用記録日記」(NO45)をはじめとして、神舞執行のための物品購入、費用調達、人夫役割当など具体的記録の多いことである。なお、神舞の由来を記した元禄11年(1698)「御尋ニ付申上候事」(NO6(9の1))は、かつて別宮社からの依頼を受けて祝島側で写しを作成して送ったことがあり、のち祝島側で原本を紛失したため、氏本家から別宮社側に同写本の再写を依頼して得たもの。
- 論文・翻刻
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▼『周防祝島の神舞行事』(上関町教育委員会、1978年)▼『上関町史』(上関町、1988年)
- 関係地域
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上関町祝島
- キーワード
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神舞/給庄屋
- 文書の年代
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元禄11年(1698)〜昭和55年(1980)