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- 文書群名
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兄部家文書
- 分類
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諸家文書 > 兄部家文書
- 点数
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74
- 伝来地
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防府市
- 目録内容
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閲覧室目録
- 組織歴・履歴
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兄部家は,家伝によれば崇神天皇の皇子である豊城入彦(とよきいりひこ)を始祖とする。同家は,防府天満宮の社頭に成立した相物(塩物など)の座を統率する職(兄部役,相物師等々)を務めたことにより,その職名を名字とし,遅くとも天正15年(1587)には兄部(河辺)と称している。中世には,大内氏や毛利氏の庇護を受けて商権を握り,近世に入ってからは,酒造も手がけ,また三田尻往還(山陽道)に面して宮市(防府市)の本陣としての役割を担っていた。その家屋敷は「鴻庇館」と呼ばれ,「宮市本陣兄部家」として防府市(一部は国)の指定史跡にもなっていたが,近年の火事で焼失したため現在整備について検討中である。
- 内容
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兄部家に伝来した文書群の内,山口県指定有形文化財に指定されているもの(指定品の内1点は除く)。戦国期以降に毛利氏から兄部役の安堵,屋敷地料の免除など,同家の権益を保証されたものが大部分を占める。藩政期には,酒造業に携わり,御吉例酒・御用酒をたびたび献上したことに関わる文書もまとまって残されている。このほか,毛利氏当主や家臣から仮名や実名を拝領したものもある。広い意味で兄部家の由緒に関わる文書群が中心といえる。/なお,鎌倉期の文書2点は周防国衙領の公文職に関わるもので貴重だが,兄部家との関係は不明。この内,最古の年紀を持つ文治5年(1189)の「重源袖判東大寺勧進所下文」(NO17)は,天保8年(1837)に兄部家の古襖を修復した際に下張りとして使われていた反古紙の中から偶然見つかったという(「累代遺語抜萃」(NO2))。
- 論文・翻刻
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■『防府と兄部家』防府史料18集(防府市教育委員会,1971年)▼『防府市史』通史1〜2(防府市教育委員会,1999年〜2004年)▼『史跡萩往還宮市本陣兄部家整備基本計画』(防府市教育委員会,2016年)▼ 鈴木敦子『日本中世社会の流通構造』(校倉書房,2000年)▼『防府市史』史料1(防府市教育委員会,2000年)▼『防長風土注進案』10巻(山口県文書館,1965年)■『山口県史』史料編 中世2(山口県,2001年)
- 関係地域
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- キーワード
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商家
- 文書の年代
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文治5年(1189)〜慶応4年(1868)