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- 文書群名
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佐田家文書(山口市2)
- 分類
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諸家文書 > 佐田家文書(山口市2)
- 点数
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1198
- 伝来地
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- 目録内容
- 組織歴・履歴
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佐田家は明治期には「士族」であるが(NO21ほか),それ以前の来歴は不詳。萩藩の安政の分限帳には,「一代遠近」や「無給通」に佐田家が3家あるが,この佐田家との関わりは残された史料からは確認できない。明治20年(1887)に岡田清太郎が佐田家を継ぐ。岡田家は,藩政期から周防国吉敷郡吉敷村(現山口市)に居住し,幕末には当地の給領主である萩藩一門の吉敷毛利家から庄屋格と苗字帯刀を許された家(NO4)。清太郎の父・岡田又平は,慶応2年(1866)良城隊に属して幕長戦争(芸州口)に参戦し(『内海忠勝』),明治11年(1878)〜17年(1884)に吉敷村会議員を務めたほか,吉敷村地主惣代や長楽寺惣代などの地域の公職を務めている。
- 内容
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佐田家を継いだ岡田家相伝の文書群が中心。江戸時代以前の岡田家の活動を伝える文書としては,春定下札及び,吉敷毛利家や藩府から勤功(献金や米・麦の供出)を賞されたものが大部分を占める。また,近代以降のものとしては,地元山口県の新聞がある程度まとまって残っているのが特徴である。特に,「関門日日新聞」は,関東大震災のあった大正12年9月分がほぼ全て残っている(震災翌々日の9月3日分のみ欠く)。
- 論文・翻刻
- 関係地域
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- キーワード
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村会議員/新聞
- 文書の年代
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享和元(1801)〜昭和15(1940)