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- 文書群名
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井上一親文書
- 分類
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諸家文書 > 井上一親文書
- 点数
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11
- 伝来地
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東京都
- 目録内容
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閲覧室目録
- 組織歴・履歴
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井上一親は、天保11年(1840)、萩藩熊毛宰判塩田村(現光市)に生まれ、若くして大庄屋見習、大庄屋加勢となる。慶応元年(1865)、第二奇兵隊が塩田村に駐屯すると同隊周旋方に任じられ、翌年には室津撫育所御蔵会所頭取役を勤めた。維新後、当時兵庫県令であった伊藤博文とのつながりから、兵庫県官吏として任用され、伊藤上京後は、井上も内務省勧農寮、勧農局製造課などに勤め、北海道の製糖工場建設などにあたる。明治14年以降、参事院、内閣法制局、宮内省御用係として「大政紀要」の編纂などに勤務。明治25年、位階勲章を賜る。明治26年、帰郷し、学校の増築、道路の拡張などの村政に尽力し、塩田村の名誉村長となる。勲一等。楠園と号し、晩年には詩歌詩吟を楽しむ。明治40(1907)死去。
- 内容
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文書群は、井上一親が塩田村帰郷後から死去直前までの間(明治29〔1896〕〜40〔1907〕)に記した日記で構成される。
- 論文・翻刻
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▼『大和町史』(大和町 1983)
- 関係地域
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大和町
- キーワード
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名誉村長(塩田村)
- 文書の年代
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明治