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- 文書群名
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河北家文書
- 分類
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諸家文書 > 河北家文書
- 点数
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155
- 伝来地
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- 目録内容
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閲覧室目録
- 組織歴・履歴
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河北家は藤原姓。備後国地毘庄(じびのしょう)(現在の広島県庄原市)を本拠とする山内首藤(やまのうちすどう)氏の分家で,同庄内の河北村を苗字の地とする。戦国期に毛利氏の傘下に入る。近世は萩藩大組に属し、幕末には萩藩当島宰判(長門国阿武郡)佐々並に在郷。『萩藩閥閲録』巻105河北長左衛門家(「譜録」か111河北長左衛門俊胤)がこの家にあたる。菩提寺は萩の徳隣寺。
- 内容
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河北家の由緒を示す系図・由緒書・仕成・家督相続、知行地支配、萩藩士として諸役を務めたことに関わるもの等、「武家」としての活動を示す文書からなる。正文としては最古の戦国期の文書は,かつて大内氏の氏寺であった氷上山興隆寺理蔵坊の住持職を毛利輝元が安堵したもの〈NO.2(47の38)〉。 18世紀半ばの河北九左衛門俊胤(「譜録」提出時の当主)は、長府毛利6代匡広の長女で4代藩主毛利吉広の養女となって有馬一準(越前丸岡藩主)に嫁いだ秀姫(演暢院)の年寄役を務めている(NO.31)。その関係もあってか、俊胤宛ての書状を中心に47点の文書を一綴にしたもの(NO.2)の中には、長府毛利9代毛利匡満からの書状が多数含まれている。同綴りには、ほかにも、毛利政苗(まさなり)(清末毛利3代匡平=元平=匡広)、間部詮央(あきなか)(越前国鯖江藩3代藩主)、安部信允(のぶちか)(武蔵国岡部藩7代藩主)といった諸大名の書状が含まれている。 なお,原家(雲谷等顔の家系)や楢崎家の略系図が含まれるのは、河北家と婚姻関係を結んでいたためと考えられる。
- 論文・翻刻
- 関係地域
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- キーワード
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毛利家家臣/萩藩士(大組)
- 文書の年代
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天正4年(1576)〜昭和27年(1952)