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- 文書群名
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木原家文書
- 分類
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諸家文書 > 木原家文書
- 点数
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23
- 伝来地
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下松市
- 目録内容
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閲覧室目録
- 組織歴・履歴
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木原家は,家伝によると清和源氏で,源満仲の子頼高が分家して木曽東那賀有木の木原庄に居住したのに始まるという(NO.4ほか)。頼高の孫房義のとき備前国那賀有木に移住。その後備後国で古志氏に仕えた後,安芸国山県郡木原に来住し,戦国期には大内義隆の麾下となった。大内氏滅亡後は再び古志氏に仕えたが,基重のとき周防国都濃郡山田村(現下松市)に移住して帰農し,毛利本家より大庄屋を命じられたという。延宝年中(1673〜80)に基重の子基忠が,母親の里である同郡生野屋村(現下松市)へ移住した。幕末の嘉永4年(1851)には,源之進が徳山藩領生野屋村畔頭を務め,永代苗字と帯刀を許されていることがわかる(NO.16・17)。
- 内容
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文書群は、系図・由来書・判物写・伝来品目録・永代苗字や帯刀の免許状等々、木原家の由緒を伝えるものが大部分を占める。NO.8「覚(木原家伝来品目録・御判物之写・木原家系図之写」)は『閥閲録遺漏』巻5の3都濃郡農家(木原家)に所収されている。なお、当館蔵・下松市内藤家文書?639「木原家系図・文書写」は同文書からの写しと考えられる。
- 論文・翻刻
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▼『萩藩閥閲録遺漏』巻5の3都濃郡農家木原家
- 関係地域
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下松市
- キーワード
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畔頭(徳山藩領生野屋村)
- 文書の年代
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近世〈正徳2〉〜昭和37