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- 文書群名
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阿武孝太郎文書
- 分類
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諸家文書 > 阿武孝太郎文書
- 点数
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274
- 伝来地
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美祢市
- 目録内容
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閲覧室目録
- 組織歴・履歴
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阿武孝太郎 (1911〜2011)は,美祢郡の出身。山口県師範学校を卒業後,美東町立大田小学校に勤務。山口県の要請により内原訓練所(茨城県)に入所後,昭和18年(1943)満蒙開拓青少年義勇軍郷土中隊長として,旧満州興安嶺下の帰流河訓練所に赴任して訓練生の指導に当たる。終戦直前のソ連軍参戦による抑留生活を経て,昭和21年に帰国。その後は,阿武教育事務所長や秋吉小・秋芳南中・美東中など旧美祢郡内の小中学校の校長を歴任。昭和45年(1970)に定年退職後は,郷土史研究の傍ら,山口家庭裁判所調停委員,美東町史編集主任,美東町文化財審議会委員,秋芳町文化財審議会委員長,秋芳町教育委員,秋芳町同和教育推進委員長など,秋芳町内を中心とする各種の公職を長きにわたり務めた。
- 内容
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上記の阿武孝太郎の諸活動に伴い,収集・蓄積された資料の内,満蒙開拓青少年義勇軍に関わるものが大部分を占める。それらは,拓友会の活動など元訓練生たちが往時を振り返ったものが中心だが,山口県内務部通知(NO.2(9の1))など同時代の資料も若干含まれる。 満蒙開拓青少年義勇軍関係以外では,校長を務めた中学校の卒業記念アルバム,西園寺賞季(よしすえ)書状(NO.28)など収集したと思われる資料,毛利輝元祖母に関する研究資料などがある。
- 論文・翻刻
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阿武孝太郎『心に種をまく―朝のひとこと抄―』(1996年)
- 関係地域
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美祢市/満州
- キーワード
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満蒙開拓青少年義勇軍
- 文書の年代
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19世紀末〜平成