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- 文書群名
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雑賀家文書
- 分類
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諸家文書 > 雑賀家文書
- 点数
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133
- 伝来地
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- 目録内容
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閲覧室目録
- 組織歴・履歴
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雑賀家は藤原姓。家伝によると,紀伊国雑賀(さいが)を苗字の地とし,南北朝期に足利将軍家に仕えて武蔵国に居住した。のち大内氏に仕えて備中国に移住し,さらに周防国吉敷郡に移ったという。戦国期は大内氏滅亡後に毛利氏の傘下に入り,山口で異変があった際にはその鎮圧や防衛に当たっている。近世は萩藩大組に属し,19世紀半ばには,仁保下郷(現,山口市)や殿敷(現,下関市)において330石余を有している。明治期の治郎熊は,植木家の出身で,臥牛と号し,漢詩をよくした。『萩藩閥閲録』巻65雑賀三郎兵衛家(「譜録」さ105雑賀織江範正家)がこの家にあたる。
- 内容
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戦国期に毛利家から与えられた判物類や,和歌・漢詩,書簡等からなる。書簡では,杉孫七郎と児玉愛二郎からのものが大半を占めるが,前者は雑賀治郎熊と杉が共に植木家の出身であったことによると考えられる。また,萩の乱の中心人物の一人である奥平謙輔宛ての書簡類が含まれているのは,治郎熊の実父植木小太郎が奥平謙輔の実弟であることによると考えられる。
- 論文・翻刻
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▼『萩藩閥閲録』巻65雑賀三郎兵衛 ▼「譜録」さ105雑賀織江範正 ▼『大内村誌』(1988)
- 関係地域
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- キーワード
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毛利家家臣/萩藩士(大組)/海軍少佐/奥平謙輔/杉孫七郎
- 文書の年代
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弘治3年(1557)〜昭和19年(1944)