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- 文書群名
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山本家文書(下関市豊浦)
- 分類
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諸家文書 > 山本家文書(下関市豊浦)
- 点数
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110
- 伝来地
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- 目録内容
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閲覧室目録
- 組織歴・履歴
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山本家は,家伝によれば,清和源氏の新田義重の末裔で,丹波国桑田郡山本郷(現,京都府)に居住し,南北朝〜室町時代に長門国に来住したという。江戸時代,豊浦藩領豊浦郡宇賀大河内村(現,下関市豊浦町)や上畑・下畑村(同左)の庄屋を長く務め,幕末には尊攘派の公家・中山忠光が同家に10日間宿泊したという。明治時代前期には副戸長を務めたほか,明治28年(1895)6月からは山本梧平が宇賀村長に就任している。なお『豊浦町史』によれば,山本家は,江戸時代文化年間頃から四代にわたって寺子屋を営んでおり,山本友弥は門弟一同によって墓碑を建てられたという。
- 内容
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文書群は、(1)江戸時代,山本家が豊浦藩領豊浦郡宇賀大河内村や上畑・下畑村の庄屋を務めたことに関わって残された文書記録,(2)明治期,副戸長や宇賀村長を務めたことに関わって残された文書記録,(3)家の活動に関わって残された文書記録,に大別される。(1)は明暦期以降の年貢算用に関わる文書が幕末期まで一貫して残るほか,人別改め帳や村明細書,庄屋交代に伴う文書引継ぎ書などが含まれており,豊浦藩の庄屋文書を知る上で貴重なもの。(2)に関しては,宇賀村長交代時の文書引継書が残る。なお,江戸時代の寺子屋関係の文書は含まれない。
- 論文・翻刻
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▼『豊浦町史』(豊浦町 1979)
- 関係地域
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下関市豊浦
- キーワード
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庄屋(宇賀大河内村・上畑村・下畑村)/副戸長/村長(宇賀村)
- 文書の年代
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明暦2年(1656)〜明治29年(1896)