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文書群名

曽祢家文書

分類

諸家文書  >  曽祢家文書

点数

80

伝来地

目録内容

閲覧室目録

組織歴・履歴

曽祢家は、江戸時代、萩藩の大組士として活動した。同家「譜録」によれば、曽祢家は伊与国守護宇都宮成房の5代末裔という由緒をもち、同国大洲内子に城を構え、同地今内子の高昌寺を菩提所とした。のち孫兵衛隆信が、小早川隆景の招きにより毛利輝元に奉公するようになったという。その子孫左衛門高房は、慶長5年(1600)9月、輝元の命で伊与国松山城攻めに参戦し戦死した。藩政期に入り、寛永検地後の寛永2年(1625)、曽祢家は都濃郡久米に600石の給地を与えられたが、その後、寛文3年(1663)には禄を息子3人に分割相続することを認められている。また、歴代当主は大組番頭や小姓役などを務めている。/なお同家の人物としては、明治期、初代衆議委員議長、日露戦争時の大蔵大臣、2代韓国総監などを歴任した曽祢荒助(1849−1910)が著名。/曽根家伝来文書のうち、曽祢荒助に関するもの15点は国立国会図書館憲政資料室に寄贈され、「曽祢荒助関係文書」として公開されている。

内容

文書は、曽祢家の活動に関わるものとして、時代別に、【1】藩政期以前のもの、【2】藩政期のもの、【3】近代のもの、に大別される。また伝来経緯は不明だが、【4】大坂上難波町に関するものが含まれる。/【1】は写しを除くと、小早川隆景書状(NO1)、文禄4年(1595)の小早川秀俊「中納言蔵入目録」が注目される(NO2)。【2】は、萩藩主書状・判物、萩藩加判衆から曽祢家へ発給された奉書類を中心とするが、武芸の伝授書・目録も数多い。また人物は未詳だが、曽祢家の当主と推測される肖像画(NO69)もある。【3】は将棋段位の免許状など。【4】は天保6年(1835)に大坂南組上難波町から大坂町奉行所に提出された「差上申証文之事」(NO78)。

論文・翻刻

『萩藩閥閲録』巻91曽祢三郎右衛門/「譜録」曽祢孫左衛門高英(毛利家文庫23譜録そ8)

関係地域

キーワード

毛利家家臣/萩藩士(大組)

文書の年代

文禄4年(1595)〜昭和4年(1929)

選択中文書群名

曽祢家文書

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