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- 文書群名
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相木家文書
- 分類
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諸家文書 > 相木家文書
- 点数
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62
- 伝来地
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- 目録内容
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閲覧室目録
- 組織歴・履歴
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相木(大木)家は,本姓藤原。肥前竜造寺氏の一流で,竜造寺家門の三男頼隅を祖とする。頼隅の嫡男数馬の時,竜造寺家を出奔して周防国霧山(現下松市)に来住し,毛利家に仕えた。さらに数馬次男治部の次男光俊が周防国立野(現光市)に移って,萩藩寄組士清水家の家臣となり,その家老を務めたという(No1)。江戸時代後期の相木家は,「家老」に次ぐ「上臣」の家柄で,禄高は12石5斗(No9)。 幕末の9代■[辰+鳥:たか]之助春利は,慶応2年(1866)に周防島田市(現光市)において,倉敷騒動の中心人物である立石孫一郎を討ち取った(No5)。また,その子10代又兵衛正信は第二奇兵隊隊長を務め,慶応4年(1868)には鳥羽・伏見の戦いに参戦し,毛利敬親から感状を得ている(No5)。 くだって,11代今之進は,明治36年〜同44年および大正13年〜昭和7年に熊毛郡周防村長を務めた(No44)。その子12代音彦は陸軍に属した(昭和19年は少尉)。本文書群の寄贈者である千尋(ちひろ)氏は,その音彦の長男に当たる。
- 内容
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相木家の「家」としての活動により作成・授受された文書群からなり,以下に大別される。 1系譜・由緒:現当主千尋氏が自家の歴史をまとめたものが含まれる。2仕成:■[辰+鳥:たか]之助と又兵衛の勲功に対する褒賞をまとめた巻子がある。伏見の戦いに関する毛利敬親感状が含まれるのは興味深い。3清水家家臣:相木家が,幕末期に萩藩寄組士清水家の上層家臣として活動したことにより作成・授受された文書群が主体。写しとはいえ,清水家の公文書としての性格を持つ。4陸軍軍人:陸軍少尉であった音彦が所持していたもの。5諸事:公家である勧修寺家に本来伝来したと思われる毛利輝元書状5通をまとめた巻子が注目される。この中には,『毛利輝元卿伝』において「勧修寺家御由緒大略」という典拠で引用されている史料の正文が含まれる。これらを相木家が入手した時期や経緯は不明。また,かつて何かの展示で使われた■[辰+鳥:たか]之助と又兵衛の写真コピーもある(No35・36。写真原本は相木家保管)。6図書類:千尋氏が自家の歴史をまとめるために利用した参考図書類。
- 論文・翻刻
- 関係地域
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- キーワード
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陪臣(萩藩寄組清水家臣)/諸隊/陸軍軍人
- 文書の年代
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文禄4年(1596)〜昭和52(1977)