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- 文書群名
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飯田家文書(福岡県)
- 分類
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諸家文書 > 飯田家文書(福岡県)
- 点数
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368
- 伝来地
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- 目録内容
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閲覧室目録
- 組織歴・履歴
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飯田家は、江戸時代に長門国厚狭郡上小野村(現,宇部市)の庄屋を務めていた武安惣兵衛の娘婿・武安彦右衛門を祖とする。彦右衛門の四男玄周は医術を生業とし、玄周の次男である良民が文化年間に厚狭毛利家家臣の飯田靭負の外養子となって飯田を称するようになった。良民の孫に当たる節蔵は、大坂の緒方洪庵の塾に学び、のちに船木医学処に関わった。また、節蔵は俳号を古櫟園と号して付近の蕉門の宗匠を務めた。節蔵の女婿と孫に当たる寅市と廉一も医師である。
- 内容
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近代以降の飯田寅市及び廉一の学位や証書、免状類と医学書をはじめとする図書とに大別される。後者の医学書の中には,奇兵隊や船木医学処の蔵書印があるものが含まれている(NO29、34〜36など)。
- 論文・翻刻
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長谷川木星『西南役と厚狭郡医師団』(1972年)
- 関係地域
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宇部市
- キーワード
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医者/厚狭毛利家家臣/船木医学処
- 文書の年代
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万治2(1659)〜昭和55(1980)