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- 文書群名
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益田高友家文書
- 分類
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諸家文書 > 益田高友家文書
- 点数
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32
- 伝来地
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山口市
- 目録内容
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閲覧室目録
- 組織歴・履歴
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益田高友家は藤原姓。中世西石見最大の国人領主であった益田家の分家で、応仁・文明の乱で活躍した益田貞兼の四男兼勝に始まる。戦国期は益田家の親族として活動し、大内氏やその有力家臣と直接交渉を持っていた。近世に入り、益田元祥の次男景祥が分家し(問田益田家)、周防国吉敷郡問田を本拠とした際に従い、その「家老」となった。同家は、門名を「端詰」といい、菩提寺は山口市問田の光厳寺(浄土宗)である。益田高友は、この家のまた分家筋に当たる通安の子で、真政の養子となって本家(高友家)を継いだ。明治期に益田周作は、御堀村戸長や矢田村戸長、大内村村長等を歴任している。『萩藩閥閲録』巻168益田五郎兵衛家がこの家に当たる。
- 内容
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戦国期に、大内氏や尼子氏から受け取った書状類(NO.1)や益田本家から与えられた感状類(NO.2)のほか、由緒書、益田家をはじめとする諸家の系図、武術秘伝書等からなる。この内、NO.1は『萩藩閥閲録』巻168益田五郎兵衛家収録の1号文書を除く文書の原本である。また、NO.2は『益田市誌』引用のNO.2(10の9)以外はすべて新出の文書であり、肥前の松浦隆信の家臣から益田氏配下の三隅湊を拠点とした水軍で、海運業も営んでいた大賀氏に宛てた文書(NO.2(10の1))等、注目すべき内容を含んでいる。このほか、問田益田家の治政の心得を示した「鑑政」(NO.14)なども興味深い。
- 論文・翻刻
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▼『萩藩閥閲録』巻168益田五郎兵衛 ▼『大内村誌』(大内公民館、1958) ▼『益田市誌』上巻(益田市、1975) ■中司健一「山口県文書館寄託『益田高友家文書』中世分の翻刻と紹介」(『東京大学史料編纂所研究紀要』23 2015)
- 関係地域
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- キーワード
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石見国人/陪臣(萩藩問田益田家臣
- 文書の年代
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永正15年(1518)〜近世