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一次寄託分
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平成9年度寄託分
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381
書状
志道家383
11月20日
1
382
書状(手組・軍監兼帯の件病気全快後出山のこと)
志道家384
1月26日
383
書状(御城東南門仕法替に付守衛のこと)
志道家385
6月4日
384
書状(尊公様御引請隊御記のこと)
志道家386
385
書状(軍政方よりの通知諸士中并農兵其外へ知達のこと)
志道家387
2月25日
386
書状(若殿様御廻在当郡辺諸兵御覧のこと)
志道家388
387
覚(軍監として厚狭出張の件)
志道家389
11月6日
388
御所置言上之事 諸侯へ御申渡写・防長取置(毛利大膳父子御載許のこと/「ひやし 山口より能藩森辺市蔵と申者取帰り候風説書之由書写」)
志道家390
(慶応2年[1866]カ)1月23日
389
風説書(岩城山脱走組備中蔵敷乗取のこと・品川弥次郎登坂のこと他/「四月十五日山口之風説也」)
志道家391
(慶応2年[1866]カ)4月15日
390
[千石已上之部・已下之部小隊数書上げ](高田健之助・桂武之進・宍戸丹後他8名 農兵・社兵・僧兵)
志道家392
391
書状(能登殿仰承写 船木辺合併御手組司令中へ知達のこと)
志道家393
4月25日
392
書状(待敵の方策御注意のこと/「右山口御国政より諸々御代官所へ御知達の写」/対幕応戦のための沿海諸郡心得)
志道家394
(慶応2年[1866]カ)4月11日
393
書状(内顧の念無く決死防戦肝要のこと)
志道家395
(慶応2年[1866]カ)
394
書状(四番小隊見分に付呼出のこと)
志道家396
5月17日
395
書状(小隊見分に付舟木へ呼出のこと)
志道家397
396
書状(御組合四番小隊厚狭出張の儀知達のこと)
志道家398
397
書状(農兵社僧兵厚狭出張に付南第十四番大隊差出のこと)
志道家399
398
書状(南第十四大隊中小隊司令役配に付家督御免のこと)
志道家400
4月27日
399
[小隊合併第十四大隊と呼称の沙汰]
志道家401
6月21日
400
[船木千石以下合併人数 南第拾四大隊之内]
志道家402