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- 文書群名
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豊前国企救郡代官
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諸家文書 > 佐藤家文書 > 萩藩諸役 > 豊前国企救郡代官
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- 目録内容
- 組織歴・履歴
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慶応2年(1866)12月、四境戦争小倉口での戦いに勝利した長州軍は、小倉城下と企救軍を占領下においた。明治元年(1868)、萩藩は豊前・石見の両占領地を朝廷に献上し、あらためて萩藩預り地となった。以後、明治2年(1869)まで企救郡は萩藩の管轄となった。佐藤信寛は、慶応3年(1867)企救郡御内用掛に就き、翌明治元年(1868)11月、企救郡代官役に就任している。本項に配列した文書から、当該預り地での実務の一端が垣間見れる。
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