階層検索
- 文書群名
-
楢崎隆蔵関係文書
- 分類
-
諸家文書 > 楢崎隆蔵関係文書
- 点数
-
3
- 伝来地
-
東京都
- 目録内容
-
閲覧室目録
- 組織歴・履歴
-
楢崎隆蔵は、天保9年(1838)、一門大野毛利家の家臣九郎右衛門尚章の子として大島郡久賀村(現周防大島町久賀)に生まれた。通称剛十郎、字は子淳・隆蔵。太華と号した。本文書中に見られる有田姓は変名(楢崎家が一時使用していた苗字に由来か)である。文久3年(1863)、26才のとき、同じく大野毛利の家臣松宮相良(変名井手孫太郎)と共に脱藩。九州北部を巡覧して帰藩し、11月奇兵隊に入隊。その後、読書掛となる。翌元治元年(1864)三月、脱藩の罪で投獄されたが、藩主の命により赦免される。同年上京し、禁門の変により帰藩後、真武隊(南奇兵隊、第二奇兵隊)が再結成されるとこれに入隊。慶応元年(1865)正月、第二奇兵隊書記役に就く。同2年(1866)4月4日、第二銃隊隊尾兼応接方であった立石孫一郎らの暴動を阻止しようとしたため殺害される。行年29。大島郡室津(現上関町)常満寺に葬られた。
- 内容
-
楢崎隆蔵の履歴関係資料や書状、第二奇兵隊関係の文書などをまとめた巻子5巻が主体。隆蔵の履歴に関する文書、隆蔵書状および隆宛書状される。伝来が明らかな、楢崎関係文書としてまとまった唯一の文書群。
- 論文・翻刻
-
▼中野正行『百回忌法要記念 第二奇兵隊参謀楢崎剛十郎』(1967) ▼中野正行『第二奇兵田尾参謀楢崎剛十郎詳伝』(1972) ▼『山口県文書館アーカイブズガイド―幕末維新―編』(山口県文書館、2010)
- 関係地域
-
-
- キーワード
-
萩藩第二奇兵隊士
- 文書の年代
-
近世(元治元〜明治3)